道が急になってきました。足元は石がゴロゴロしていて、ときどき猪の掘り返した跡が見られるようになり歩きにくかったです。にわか雨も降るようになりました。



 いくつもの沢を渡り、倒木を除けながら進むと少し汗が出てきました。切り倒された竹が折り重なるように荒れた山間(やまあい)を過ぎたところで道の前方が開けました。有年峠でした。



 峠を越えてほっとしましたが、下りになるとさらに道は歩きにくくなりました。道には猪の堀り跡が延々と続いているからです。緊張が高まります。途中がさがさと山を登っていく音が遠ざかっていきました。鹿だと思うのですが姿を見ることはできませんでした。先を急ぎます。



 やがて前方に動物柵が見えてきました。厳重に鉄の棒が差し込まれています。やっとはずして外に出て再度留め金をしっかりかけました。ほっとした気持ちになりました。奥州街道でも一日山の中を歩いたことがありましたがここまでの緊張感はなかったように思います。



 人家が見えるとさらにほっとしてゆっくり昼食を取りました。このあたりには中世から近世に至る頃の梨ヶ原宿遺跡が出土しています。昔の山陽道を行き交う人々で賑わっていた場所だということでした。船坂峠に向かいます。道は田んぼの間をくねって進みましたが、しばらく行くと道は山沿いとなり、道には枯れ葉が積もって人の気配がなくなりました。さらに進むと船坂峠が見えてきました。



 船坂峠には兵庫県と岡山県の県境がありここを越えると備前市に入ります。峠の境には車止めの杭が立っており車では通行できないことから人が利用することがなくなり、道が荒れてしまったのだと思います。



 この日は時間が少し早いのですが三石宿で終了しました。三石宿は船坂峠を越えて播磨へ通じる山陽道の宿場として賑わいました。付近の天王山には三石城が築かれていました。現在は耐火レンガ工場の煙突が見られる町です。

      

          
   NO.9

R5.10.10 
有年宿~片上宿


  有年峠を越えて



 今回の歩きは有年(うね)峠を越える道のりです。峠を越えるためには動物柵を開けて入り、山道を通過して動物柵を出るという行程がありました。熊や猪、ヘビの心配がある場所です。
 梅雨の大雨、続いて夏の高温、山用の靴を新調するなど様々な要因が重なり久しぶりの歩きとなりました。



 有年山城跡にある天満宮前で出発準備をします。この鳥居は1744年に建立され今年で279年の歳月がたちました。旅の無事を祈ってから出発します。少し歩くと長屋門がありました。江戸時代の大庄屋、有年(ありとし)家長屋門でした。復元されたものですが石垣の上に立つなど立派な構えでした。



 出発時には良い天気だったのですが少し黒い雲が出てきてしまい、これから向かう山道に不安がよぎりました。道沿いには季節を知らせる彼岸花がきれいに咲いていました。



 大避(おおさけ)神社を過ぎ、山が近づいてきました。左手に坂折池を見ていよいよ動物柵を開けて入ります。



 この有年峠への道は鎌倉幕府の頃から整備され、江戸時代には大名の参勤交代に利用されました。鎌倉以前は山陽道と呼ばれ、もっと北の方に道がありましたが、その道は現在国道2号線として整備され昔の面影はなくなりました。



 道はボランティアの皆さんにより整備されていて歩くことに心配はありませんでしたが、誰一人いない山道は不安がつきまといます。先ほどへびが足元をくねって行きました。熊除けの鈴をつけ、手に持った地図で大きな音を立てながら進みます。