ときどき脇にそれて住宅街に入ると騒音が離れ、ほっとします。

国道2号線が長く続いた後、四軒屋の信号からは脇道に入りました。肩の力が抜けてほっとしている自分を感じます。川沿いには赤い可憐な花も見られ楽しい歩きとなりました。


国道2号線の大池前には片上一里塚跡の碑が見られます。説明文には旧山陽道の一本松一里塚の名前になっています。整備される前は50mほど東にあったそうです。

大池を過ぎると町並みが変わってきました。新幹線線路をくぐり片上の町へ入っていきます。このあたりから備前焼窯の広告が多くなりました。

備前焼は岡山県備前市周辺を産地とする陶磁器です。日本六古窯(こよう)の一つに数えられ「伊部焼(いんべやき)」の別名もあります。備前焼は釉薬(うわぐすり)を使わず、絵付けもしないというシンプルな焼き物で知られています。高温で長く焼くため投げても割れないぐらい堅い焼き物です。神社の狛犬も備前焼が使われていました。

藤原審爾旧宅跡がありました。誰かなと調べてみると幅広いジャンルの作品を書くことから「小説の名人」と言われた作家で、映画化された作品の多さから「映画に愛された小説家」とも言われたそうです。女優藤真利子のお父さんでもありました。

この日は帰りの予定があったため片上宿で終了しました。だんだん歩く場所が遠くなり、行き帰りの時間がかかるようになりました。いつ下関に着けるのかな?


NO.10
R5.10.11 三石宿~片上宿
神功皇后の孕石
この日は相生駅前のホテルを出て学生達で混雑する電車で三石駅まで来ました。天気は晴れ、気持ちのいい風が爽やかにながれています。三石宿を立ちます。

三石宿は耐火レンガの工場が道の両側にあり、レンガ造りの煙突も少し古い建物も風情がありました。

三石神社があり寄ってみます。この神社は孕石(はらみいし)神社とも言われ、一千有余年の昔に神功皇后が懐妊の身でこの神社に立ち寄り大きな岩の上で休息されたそうです。その後境内にある岩や石は皆白い小石を孕(はら)むようになったと伝えられているそうです。子宝の石ですね。

金剛川を渡り山陽本線の下をくぐると優しい顔のお地蔵さんがいました。清水地蔵です。ここには清水が湧き江戸時代には旅人達がのどを潤す憩いの場であったそうです。道中の無事を祈ったのかも知れませんね。
その後道は国道2号線と重なるようになり、多くのトラックが行き交う交通量の多い道路脇を歩くようになりました。

