道は国道を離れて船木津布田線を進みます。坂を下り終えるとそこは厚峡(あさ)宿でした。この宿場は半宿(間宿)という大きな宿場と宿場の間にある宿場で通過地点であることが多かったようです。



 厚狭川を渡る橋のたもとに大きな岩が置かれていて皇后岩と説明がありました。伝説では百済国の太子(山口大内家の元祖)が天皇に拝謁するため大和国に上られるときの話に関係する岩でした。やはりこの地には古代の歴史が息づいているように感じます。



 しばらく歩くと吉田道の道標が各所に出てくるようになりました。道が二股に分かれているような迷うときの道標は本当に助かります。その先は山野井八幡宮を回り込むように通っていました。



 山野井八幡宮で休憩しました。主祭神が仲哀天皇、神功皇后、応神天皇でしたので天皇夫婦と息子ということになります。各地区の伝説がいろいろつながっていくように思えて実存するのではないかと思えてきます。(^_^)



 歩き始めてしばらくいくと山陽本線に沿うように道があります。人や車に会うことも少なく一人だけの歩きです。やがて山陽本線と分かれて住宅が数軒ある間を抜けると山へ向かう細い道になりました。再び鈴をつけて用心しました。今度は車は入れない道です。


 
 手入れのされていない畑を過ぎる頃、旧山陽道の標識と唐申塚、そして大正14年の記載のある石碑がありました。街道は倒れた竹でトンネルのようになっており暗い道に入るには決意が必要でした。(^_^;)



 山道は竹が倒れていたり道が枯れ葉で覆われていたり、時に廃屋やイノシシのわな檻がありましたが、歩くところはしっかりとしており心配はありませんでした。途中陽の当たる場所でおにぎりやお菓子を食べて元気を回復しました。



 小1時間も歩いたところで蓮台寺峠を越え蓮台寺横にでました。道を工事していて脇を通らせていただきやっと田んぼ脇の道に出ました。田んぼは動物柵で囲われていて、このあたりでの農業は大変なことを感じました。吉田宿が見えてきました。



 無事吉田宿に入り今日はここで終了です。ずっと山の中でしたので途中でやめるわけにも行かず、到着は2時半、7時間ほどの行動時間となりました。



 吉田宿には宿泊できる適当な場所が無いため新下関まで移動して明日に備えました。


      

      


   
   NO.31
R7.12.8
    
  厚東駅~吉田宿

    吉田道


 西国街道最後の歩きに来ました。前日新山口駅付近に宿泊し、朝厚東駅を7:20に出発しました。今日の行程での目標は吉田宿まででしたので早めに出発しました。はじめは2号線を下関に向かって歩きます。



 道はすぐ国道2号線からそれて細い街道に入ります。ただ大きく離れることは無く国道の左右にある山陽道を歩いて行きます。



 吉見峠を越えて下ると脇道に入り六地蔵と一里塚がありました。船木宿です。



 船木宿は神功(じんぐう)皇后の時代(200年頃)にまで遡る歴史があります。実在は不明ですが天皇崩御後の60年間を摂政(せっしょう)として統治し、百済・高句麗(朝鮮)を服属させるなど力を持っていて、ここ船木では軍船を献上したと伝えられています。


    日本神話の世界より

 またこの周辺では江戸時代初期から1964年の閉山まで石炭も採掘されていて宿場は栄えていたそうです。



 大木森住吉神社で休憩させていただきました。202年創建と歴史のある神社でした。
 


 船木逢坂に逢坂観音堂がありました。十一面観音像が県指定文化財としてあります。見学はできませんでしたが、そのお堂の前に旧山陽道が通っています。お堂を越えて先に進みましたが途中で道が藪のようになり残念ながら引き返し国道を行きました。通れなくなった旧街道はたくさんあります。