長府宿は江戸時代に毛利氏長府藩の城下町として栄えた場所です。古くから長門国(ながとのくに)の中心地で国府も置かれていました。毛利氏邸宅や明治維新発端の「功山寺決起」があった功山寺などがあるので少し時間をかけて見学しようと思いました。



 長府は宿場としてよりも城下町の雰囲気が強く、きれいに整備された小路や家並みが美しかったです。紅葉の鮮やかさも映えて散策はとても素敵でした。



 笑山寺には毛利家2代と7代藩主の墓がありました。美しい小路の突き当たりの階段を登り墓地の奥に五輪の塔が静かに立っています。2代藩主毛利光広のもので県内最大級と案内がありました。



 毛利家邸宅は14代藩主毛利元敏の住居として明治36年に完成しました。明治天皇が陸軍の熊本大演習の際宿泊された部屋などがそのままに残されています。



 毛利邸となりには功山寺がありました。幕府に恭順(きょうじゅん)しようとする保守派を排斥するため力士隊、遊撃隊が蜂起し高杉晋作の奇兵隊も合流して藩政を変えました。明治維新の始まりとされている功山寺挙兵の場所でした。この蜂起した維新の志士たちは西国街道を駆け上がり京を目指したことでしょう。今は静かできれいな紅葉の見られる寺院です。



 数多くの見学をして疲れたので喫茶店でぜんざいを食べてあと少しの歩きのエネルギーを補給しました。(^_^)



 さああと一息です。長府の町を出て道はずっと登って行きます。長い登りの峠あたりに清水地蔵尊がありました。小さなお堂ですがとてもきれいにしてあります。今日の無事を感謝しあと少し見守ってもらえるようにお願いしました。
 陽が傾いてきて峠からの下りが終わる頃、左手の茶臼山を回ったところで遠く関門橋が見えました。思わず立ち止まって見つめてしまいます。ここまで来たんだ!やっとここまで来たんだ!本当に嬉しかったです。



 つい急ぎ足になってしまう気持ちを抑えながら山陽道を間違えないように地図を確認します。海峡が見えるようになった道は細く複雑です。家の間の狭い路地の急坂を登るなど息が切れました。



 そして今日の目的地の宿に到着しました。目の前には関門海峡と関門橋が素晴らしい景色で見えます。感動しました。



 この日の夕食では関門海峡到達のお祝いをしました。やはり下関なのでふぐの刺身です。お皿に盛られた刺身はコリコリしていて美味しかったです。嬉しさが込み上げるひとときでした。
(^_^)




      

        

  
   NO.32
R7.12.9
    
吉田宿~下関火の山公園

   城下町長府


 この日は街道歩きを始める前に高杉晋作の東行庵(とうぎょうあん)へ行きました。
 高杉晋作は長州藩士で幕末に尊皇攘夷(そんのうじょうい)志士としてこの地で奇兵隊を創設したり、下関戦争での敗戦では外国との交渉で賠償金や土地を割譲されることから防ぎました。その後、長州藩の軍事力を高めるなど倒幕の原動力となった人物です。吉田松陰に学び藩の外交を任されたり藩政と合わず牢に入れられたりと激動の人生でした。若くして28歳で亡くなりました。



 東行庵は明治17年に元藩主毛利元昭はじめ伊藤博文、井上馨らの寄付により創建された高杉晋作の霊位礼拝堂です。境内には奇兵隊をはじめ幕末から維新の時代に亡くなった多くの志士たちが祀(まつ)られていました。顕彰碑や文学碑も多く高杉晋作の辞世とされている「面白きこともなき世におもしろく すみなすものは心なりけり」の石碑もありました。高杉の強い存在感を感じました。



 高杉らを輩出した長州藩はなぜ倒幕の中心となったのでしょうか?
 関ヶ原の戦いで敗れた毛利家は徳川幕府により減封され苦しい生活をしなければなりませんでした。その苦しみは歴代続いていて幕府に対する反骨の気持ちが根深く残っていたのかもしれません。維新前に長州藩13代藩主となった毛利敬親(たかちか)は藩の財政を改善しました。さらに人材を登用し長州藩の力を高めたことにより活動しやすい下地ができました。反骨の精神と実行力がつながったことにより維新を起こす力になったのかなと思いました。


   毛利敬親 Wikipediaより

 今は紅葉の名所ともなっている東行庵を1時間近くも見学してしまい急いで街道に戻りました。
 吉田宿は赤間関街道(萩街道)の途中にあり山陽道との追分でもあったため本陣をはじめ、駕籠や馬、人足が提供できる宿駅の役割がありました。萩藩の直轄地であったため宰判(行政機関)も置かれ賑わっていました。



 吉田宿を出ると小屋川を渡り山際の道を小月宿に向かって歩いて行きます。日が当たり暖かくなってシャツ1枚の歩きです。



 小月宿に近づいた頃、川の護岸や道路の関係で山陽道は山の壁沿いの道となりました。昔の姿ではありませんが山の斜面を歩いていたことがよく分かります。



 小月宿に入りました。山陽道の宿駅として栄えました。この町に入る頃からセスナ機が頻繁に上空を飛んでいて気になりました。調べてみると木屋川河口のそばに海上自衛隊小月教育航空基地がありました。訓練のため飛び立った小型機は小月宿の上空で向きを変えるため数多く見られたのですね。



 しばらく山陽本線と国道2号線の間を歩き宇部一里塚を過ぎました。山へ入ることも無く平坦な道でほっとしますが単調な歩きになりました。山陽本線から離れると城下町長府宿に入りました。大きな通りの両側に立派な塀や商店が並んでいます。