町中に入っても狭い道がありましたが、すぐ赤間神宮に到着しました。

源平最後の戦いである壇ノ浦で敗戦した平家は武官、女官、そして8歳の安徳(あんとく)天皇までもが入水しました。後年その霊を慰めるため霊廟(れいびょう)が建立されました。明治になり阿弥陀寺となっていた寺を廃し赤間宮とし、その後赤間神社としました。入水するとき女官から海の下の極楽浄土に行くと話された安徳天皇は竜宮城へ行ったのでしょうか。安徳天皇陵がすぐ隣にありました。

途中少し街道からそれましたが亀山八幡宮に寄りました。関の守神といわれ応仁天皇、神功皇后等が主祭神となっています。ふぐは下関では幸福の魚といわれ「ふく」とも呼ばれました。この神社には世界一大きなふくの像がありました。

街道は赤間本通り商店街を通り抜けていきます。今は無くなってしまいましたが本通りの本は本屋さんからついたそうです。

下関市役所裏を回り、さあいよいよ終点が近づいてきました。山口銀行旧本店のいかつい建物の前を通ります。

そしてついに到着しました。山陽道起終点一里塚跡がありました。令和1年9月に始めた西国街道歩きはコロナによる3年5ヶ月の休止を経て、令和7年12月10日に終了できました。6年3ヶ月もかかってしまいましたが自分で立てた目標を無事完遂できました。嬉しさと寂しさがどっと来て複雑です。この場をなかなか離れることができず気持ちが切り替わるまでしばらくかかりました。

その後、近くの店で珈琲を飲みながら応援をしてくれた家族や友人に西国街道を歩き終わったことを報告しました。おめでとうの連絡が嬉しかったです。
この日は帰る前にもう一つ下関に着いたらやろうと計画していたことがありました。それは関門トンネル人道を歩いて九州に渡ることです。

昼食をとって歩いてきた道を戻り、壇ノ浦古戦場付近にある関門トンネル人道入り口のビルに行きました。人道は無料です。多くの観光客が来ていました。エレベーターで降りるとそこがトンネルの始まりでした。これから海の下を歩きます。ドキドキしました。(^_^)

門司に向かって歩いて行きます。道は下り坂で天井や壁が青いので海の中に入っていくような気持ちになりました。真ん中には山口県、福岡県の県境の線がありました。そこを越えると今度はゆるい上り坂です。トンネルは以外にあっけないほど短い時間で歩ききってしまいました。エレベーターで上がり外に出てみると海の向こうに今までいた下関がありました。

バスを待つ1時間ほどの間、岸壁のベンチにすわり関門海峡を見ていました。東から西へ向きを変えた潮流は思ったより速い流れとなっています。
長い歩きを終えた満足感もあり、とても幸せな時間でした。

NO.33 最終回
R7.12.10
火の山公園~赤間関
関門海峡
西国街道、最後の旅立ちの朝が来ました。ベランダに出て海峡を見ると西から東に潮が流れています。関門橋をくぐってくる船は船足が速く、東から来る船は見た目に分かるくらいゆっくりです。これが関門海峡の潮流なのですね。

8時過ぎに宿を出ました。急ぐ気持ちにはなれずゆっくりと歩き始めました。昨日宿泊した新下関で入った喫茶店のママが、昔行った下関の火の山公園から見る海峡はとても良かったと話してくれたので今日はその展望台へ行ってみようと思っていました。ところが公園再整備のためロープウェイも展望台も利用できません。急な坂を登る途中で景色を見ました。冬なので花なども見ることができず残念でした。

火の山は平安時代の烽燧(ほうすい-のろし-)から始まり、いち早く敵の動きを知らせるため使われました。夜間は火を昼は煙を使ったようです。その烽燧の任を負ったのが防人(さきもり)といわれる人々でした。その後もこの地は重要な拠点となり火の山城も築城されました。近年では太平洋戦争中に高射砲陣地も構築されました。

また下関市はトルコのイスタンブールと姉妹都市となっていて、イラン・イラク戦争の時に取り残された日本人を救出に向かったトルコ航空の機長が紹介されていました。感謝しました。
山陽道に戻ります。道はいったん下って再度上り直す道です。地図では途中から右手の藪に入るようになっています。暗い人があまり歩いていない道になりました。
そして突き当たると5mもの高さになっている壁の上に出ました。安全に降りられる道はありそうもないです。仕方なく戻って関門橋の下を通る9号線で大回りをしました。

9号線に出てみるとそこは壇ノ浦の戦いが行われた古戦場でした。当時は橋などありませんし、源平戦は小舟で行われました。あの早い潮流の中では船は流され下に回った方が不利でした。義経ははじめ不利な戦いをしていましたが、潮の流れが変わると大勝をおさめ平家は敗れ滅びました。歴史的な地でした。

またここは長州藩が馬関戦争を行った壇ノ浦砲台跡があります。新式の大砲を持つイギリスやアメリカ、オランダ、フランスの艦隊に長州藩は完敗しました。そのことから長州藩は新しい武器を持つようになり維新戦争で有利になりました。

しばらく周辺を散策して海沿いに歩くと関門橋の下となります。関門橋は高速道路なので人は歩くことはできません。その下をあるいて少し行くと下関の町に入りました。

