廿日市宿 


 西国街道に戻り旧太田川(本川)に架かる本川橋を渡ります。広島市は旧太田川が幾筋も分かれて流れています。そのため橋の数も多くなり水辺の景色が随所に見られました。最後の大きな川は太田川放水路でした。広島は昔から太田川の洪水が頻発したため、太田川の水を水路に流し広島湾に注がせることで洪水から土地を守りました。その水路の橋からは遠く厳島(通称宮島)が見られました。



 川を渡りきると街道は南に折れ、西広島駅と広電西広島駅の間を通って行きます。細い西国街道を歩いて行くと右手に能舞台のような建物がありました。鷺森神社と書いてあります。この神社本殿は被爆建物の紹介文がありました。爆心地から5kmほど離れた場所です。広い範囲の被害がありました。



 そこから少し先の西区草津東町に風情のある大きな建物が見えてきました。街道らしいなぁと思いながら近づくと大きな敷地の酒屋さんでした。江戸時代の建物もあるそうです。明治天皇が巡幸した際には休憩することもありました。厳島神社の御神酒も醸造しているそうです。



 この地区は随所に案内板が設置され先ほどの酒屋さんをはじめ、神社、井戸、近くに港があったことなどの紹介がされていました。地域の歴史を残すための良い取り組みだと思います。
 先に進んだ井口(いのくち)は大和朝廷時代の須恵器(陶質土器)が出土された昔からの地区です。平清盛が厳島神社建立の際、切り出した材木を井口から船で運んだそうです。



 廿日市(はつかいち)宿に入りました。小高い丘の上に廿日市天満宮の案内がありました。急な階段を上がるため迷いましたが登ってみました。少し息切れがありましたが、素敵な景色が見られ、廿日市宿を一望できました。
 鎌倉荏柄天神社を勧進した神社ということで神奈川に縁があったのですね。




 
 この日は宮内駅で終了しました。ホテルが近くになかったので電車で阿品東駅まで移動します。阿品東駅の前は海だったので少し海岸に出てみました。そこには木の杭がたくさん打たれていてカキの養殖が行われていました。このときは干潮だったのでカキの棚は海の上に出ていました。素敵な景色でした。



 泊まったホテルはチェックインからチェックアウトまで誰一人会わない自動受付のホテルでした。初めてでびっくりしました。(^^;)
 部屋の窓からは海と桜と厳島が見えて嬉しかったです。




      

          
   NO.23

R7.4.3
    
  広島宿~廿日市宿


  平和記念公園


 昨日アーケードが終了した場所は平和記念公園の手前でした。その日泊まったホテルはその公園を一望できる場所にありましたが、疲れもあり見学は翌日にしました。朝目覚めると平和記念公園がよく見えます。出発時間は資料館の開館時間に合わせましたが、7:30の入場にはネットでチケットを購入する必要がありました。



 公園に入ってすぐの所にマルセル・ジュノー博士顕彰碑がありました。赤十字国際委員会の駐日主席代表になった人です。原爆投下後の広島は医療機関がほとんど機能せず、医師、看護師、医薬品も不足している状況を知り連合国司令官マッカーサーに依頼して15トンもの医薬品を届けるとともに自分も広島に来て治療にあたったそうです。「原爆を人間は使ってはいけないんだ!」と訴えた人でもありました。



 資料館に入るのは2度目でしたがずいぶん前だったので改築されてからは初めてです。展示がずいぶんきれいに整頓され現実味が薄れてしまったように感じてしまうのは私だけでしょうか。映像や写真がたくさんみられます。



 私は原爆投下前の広島の日常写真が気になりました。この町で生活していた人がたくさんいたんだと思います。この写真の中で生活していた人たちはどうなってしまったのだろうと思わずにはいられませんでした。資料館には外国の方たちがたくさん見学していました。



 資料館を出て慰霊式典の際によく映し出される原爆死没者慰霊碑に行きました。慰霊碑の背後には平和の灯(ともしび)と原爆ドームが見えます。ここでも慰霊碑の前にいるのは外国の方が多く、皆さん真剣に向き合っていました。 



 原爆ドームの前に立ちました。テレビでよく見る景色がそこにあります。がれきも当時のままに散乱しているのをみると放射能はどうなっているんだろうとふと思いました。調べてみると広島市の回答では以下のようになっています。

 「初期放射線」は原子爆弾が爆発したときに出ました。これが人の体に大きな被害をもたらしたのです。特に、爆心地から1キロメートル以内で直接放射線を受けた人は、ほとんど亡くなりました。そのあとに「残留放射線」が出ました。放出された「残留放射線」のすべての量を100とすると、爆発後24時間で、約80パーセントが出ました。例えば、爆心地での残留放射線を受ける量は、爆発直後とくらべると、その24時間後には千分の一になり、一週間後には百万分の一になったという研究報告があります。残留放射線は急速に少なくなっていったのです。

 現在では広島や長崎にある放射線は、地球上のどこにでもあるごく少ない放射線(自然放射線)と変わりなく、人の体にも影響を与えることは無いそうです。ほっとしました。



 少し疲れたので原爆ドームの近くの公園レストハウスの休憩所で休みました。1階は土産物店で2階が休憩所です。この建物も被爆建物です。驚いたことにこの建物の地下で生存した人がいたそうです。爆心地から170mしか離れていない場所なのに。いろいろ考える事のあった平和記念公園でした。