朝電車で瀬野駅まで行き西国街道歩きに戻りました。道しるべには安芸山陽道と書かれています。今日の道は山陽本線に沿うように続いていて、次第に山あいの道から開けた平野の道となっていきました。どこを見ても花がきれいに咲いていて楽しい歩きでした。



 広島市安芸区中野に瀬野川に沿って松並木がありました。看板があり「中野砂走りの出迎えの松」と書いてあります。当時参勤交代の責を終えた安芸国の藩主を家来や村の有志たちがこのあたりまで出迎えに来たことから名付けられたそうです。



 海田市(かいたいち)宿に入りました。広島城ができた頃から江戸に向かう第1番目の宿場町として発展しました。江戸時代には大阪と下関を結ぶ街道の宿場町として賑わったそうです。



 街道脇には千葉家住宅があります。天下送り役として重要な役割を果ました。



 この海田市からは日本人初のオリンピック金メダリスト織田幹雄が出ています。千葉家住宅の裏手に織田幹雄記念館があり見学しました。1928年アムステルダム・オリンピックで三段跳びに出場し金メダルを獲得しました。その後も陸上競技へ多大な貢献をして日本のオリンピック開催にも尽力してきました。素晴らしい人でした。



 船越峠を越えると広島市中心地が近くなります。ときどき原爆被災の写真などが掲示され、お寺など被爆遺構の説明などが見られるようになりました。大変な時を乗り越えて現在の広島があるのだとあらためて思いました。



 猿橋(えんこうばし)を渡りました。大正15年に完成した橋は総花崗岩作りで四隅の親柱には、地球をつかむ大鷹のブロンズ像や欄干の桃を高く掲げた猿が装飾されていました。戦争中に被爆した橋は残りましたが、平成28年往時の姿に復元されて美しい姿を見られるようになりました。


 
 安芸山陽道は次第にアーケードが設置された賑やかな商店街となりました。戦後の復興、集中豪雨にも負けない復旧、広島県民の力強さを感じざるを得ませんでした。




      

          
   NO.22

R7.4.2
    
  瀬野~広島宿



  安芸山陽道


 前回よりずいぶん間が開いてしまいました。広島に来るにも4時間半以上かかるようになり、また新幹線のぞみ号の自由車両が2両となったため朝は混雑して座れないこともあります。
 今回は昼頃の乗車としてその日は歩かずに翌日から歩く行程を計画しました。しかし春休みと言うことを忘れていてこの日は混雑していて名古屋まで立って行くことになりました。春の花がきれいな時期でした。



 まだ明るいのでホテルに荷物を置き近くの縮景園(しゅっけいえん)という庭園を見学しました。縮景園は広島浅野藩の歴代藩主が作り育ててきた大名庭園です。春の花が咲きみだれる回遊式池泉庭園は外国人がたくさん来ていて日本人よりも圧倒的に多かったです。



 次に広島城を訪ねました。夕方で城内に入れる時間ぎりぎりになってしまいましたが、入って天守閣から周囲を眺めることができました。展示物はお城に係わるものが多いのですが、中に一点だけ日本刀をケースの中で握って持ち上げることができる展示がありました。珍しいのですが外国の方は興味津々で刀を持ち上げてはにやりとしていました。私もでした。(^^;)



 同じ敷地内には広島護国神社もあります。広島城は「鯉城」とも言われ、野球の広島東洋カープも「CARP(鯉)」の名が付いています。この神社の社殿横には鯉が滝登りをする姿の銅像が置かれていました。ご利益があるのか鯉の背中は触られて、てかてかに光っていました。



 この夜、縮景園でライトアップがあったのでそれまで夕食を食べて時間を過ごしました。広島と言えばお好み焼きなのでぜひ食べようと思っていました。そのお好み焼きは本当に美味しかったです。お店にテイクアウトを取りに来たお客さんが「こっちへ戻ると無性に食べたくなる」と言いながら店長と話していました。やはりソウルフードなのですね。



 縮景園のライトアップにはたくさんの人が訪れていました。ピンクに浮かび上がる桜が幻想的で素敵でした。