青空の下、気温が高くなりました。強い日差しに水分補給と休憩を多くします。



 西国街道、郡山宿本陣の標識がありました。道は石畳となり大切に保存されていると感じます。



 郡山宿本陣は庭に五色の花を咲かせる椿の大樹があることから「椿の本陣」とも呼ばれました。火事で類焼し享保6年(1721)に再建されたものです。でも国指定本陣は立ち入りが出来ませんでした。それは平成30年(2018)の大阪北部地震で安全性が確保できなくなったからと説明がありました。残念でした。



 箕面市(みのおし)栗生新家(あおしんけ)に勝尾寺の大鳥居がありました。「必勝だるまの寺」として有名で全国から勝運を願って多くの人が訪れるそうです。しかしこの大門から4kmといことなので行くことはしませんでした。



 萱野(かやの)三平旧邸がありました。播州赤穂(ばんしゅうあこう)の浅野内匠頭(たくみのかみ)の小姓であった三平は大石内蔵助(くらのすけ)の仇討ちに加わろうとしましたが父の反対にあい自刃したそうです。ここにも歴史があります。



 今日の終着点の阪急電鉄石橋駅に着きました。にぎやかな商店街があります。





 この商店街は大阪市から池田市を経て妙見山(みょうけんざん)の能勢(のせ)妙見堂に至る能勢街道にあります。休憩で立ち寄った喫茶店のマスターとたくさんお話しすることが出来ました。
 その中で妙見さんは古くから歌舞音曲を志す花柳界・芸能界からの信仰も厚かったことや落語でも能勢街道中を題材にしたものも多くあつかわれ、当時は大変賑わった街道だったということでした。

 この日も最高気温37度近くになり、暑い一日を無事歩けたことを感謝しました。


      

     


   
   NO.2

R1.9.10 
 芥川宿~瀬川宿


 継体天皇陵の謎



 2日目も天気が良く、暑くなりそうな様子の中を出発です。芥川宿を出ると街道には風情(ふぜい)のある家屋が並びます。



 しばらく歩くと「いましろ大王の杜(もり)」の案内があり寄ってみました。公園化された前方後円墳です。





 この古墳は立ち入ることができ、近隣の皆さんの散歩道となっていました。埴輪祭祀場(はにわさいしば)もあり公園内にはレプリカも並べられています。



 古墳時代(西暦500~600年)後期に作られた今城塚古墳は340m×350mの大きさを持ち、淀川流域では最大級のものです。いましろ大王とは誰なのだろう?という疑問がわきました。
 しかし近年の研究によりこの古墳は「実在と系譜が明らかな」継体(けいたい)天皇の陵(みささぎ-墓)とする説が有力です。しかし1.5km先には継体天皇の三嶋藍野陵(みしまあいのみささぎ)前方後円墳が宮内庁の治定(じじょう-決められていること)を受けて存在しています。





 今度はなぜ宮内庁は今城塚古墳を継体天皇の陵墓として認めないんだろうという疑問が出てきてしまいました。全国には約4800基の古墳があります。宮内庁の天皇陵墓として治定したものは22基だそうです。でも治定されていないからこそ今城塚古墳は発掘調査のできる古墳として現在も調査中だそうです。いつか決定的な発見があるといいですね。ロマンがあります。
   継体天皇との出会い