おほどの、すめらおう
この詩を見たとき私には蓮如上人のような伝道師が民衆の心に寄り添う様子を感じました。また北国に住む人達のやさしさや忍耐強さの土地柄がにじみ出ていて郷土を愛する気持ちも感じることが出来ました。
こんな素敵な漢詩を頂いて恐縮すると同時に深く感謝しました。今回、山崎さんと出会えたことで蓮如上人御影道中や、感動できる漢詩の世界を知ることができたからです。
でも山崎さんから漢詩をいただき、そのお礼をメールで伝えた後に違和感が残りました。
私は「その風になびく草のように感化をうける」という説明が蓮如上人をはじめとする福井に関係する伝道師たちへのお気持ちと思っていたのです。
でも「おほどの、すめらおう」というのがその人達なのか?という疑問が残りました。そこで「おほどの、すめらおう」のことを調べてみて勘違いに気がつきました。恥ずかしいことですが私は継体(けいたい)天皇のことを知りませんでした。
継体天皇の姿
継体天皇は西暦500年頃の天皇で、不思議な経歴を持つことから研究者も多い天皇でした。
1.実在と系譜が確実である最初の天皇であり、福井出身の天皇であること。
2.福井の地で治水に努め農業が盛んになる下地を作ったこと。
3.製鉄技術を取り入れ産業を盛んにしたこと。
4.百済の国との交流を通じ人材、技術を迎え入れこの地を発展させたこと。
5.福井周辺の有力者と関係作りをし、勢力を広げたことから中央の政権に迎えられたこと。
知れば知るほど新進技術や国際感覚、政治感覚にすぐれた天皇であることが分かりました。また天皇自ら耕作と養蚕に励み、日本国の豊穣を祈られるということを示されたことで豪族や民衆が尊敬をした人物なのでした。
男大迹王君子風
(だんたいせきおう、くんしノかぜ)
「おほどの、すめらおうが育んだ所は風になびく草のようにその感化を受けていた」
令和となった今年、福井県をはじめ全国の人に「おほどの、すめらおう」について深く知ってもらえる機会となればいいですね。

足羽(あすわ)山の継体天皇像
