昔の賑(にぎ)わう街道らしく商店街になっている場所もあります。



 街道脇には古い造りの家屋や変わったオブジェも見られ楽しいです。



 長岡京市に入ると「馬ノ池の水」と名付けられた水道がありました。昔ここには湧き水の池があったそうです。それにはこう書かれていました。「この水は地下水100%の水道水です」なるほど。地元の人が水を汲んでいる姿がありました。私も近くの山の水を汲みに行って使っているのでその気持ちはよく分かります。飲んでみるとのどごしの良い水でした。



 山崎の地に入りました。ここは天下分け目の決戦場であった羽柴秀吉と明智光秀の戦いの場でした。秀吉の天下人となる決戦の地です。



 そして朝ドラ「マッサン」が初めて国産ウイスキーを製造した場所、サントリーの山崎工場がありました。本当は見学したかったのですが。



 この日は台風一過の気温上昇があり、最高気温36.9度にもなりました。暑さで15分に1回の水分補給と30分に1回の体温を下げる休憩が必要でした。
 その休憩した公園は国指定の桜井駅跡でした。汽車の駅があったのかと説明を読むと、大化の改新(645)以降に整備された街道の情報伝達場所の事でした。馬などが配置された役所ということです。歴史が違うなあ。(^^;) そこには父子像がありました。
 


 天元元年(1336)足利尊氏(あしかがたかうじ)の大群が京へ攻め上がってくるのを迎え撃つために楠木正茂(くすのきましげ)がこの地に来ました。しかし戦いを前に息子正行(まさつら)に遺訓(いくん)を残し河内(かわち)へ帰らせた別れの場であったと記載されていました。きびしい戦いで死を覚悟した父と息子の別れの場であったのですね。
 
 高槻(たかつき)市の芥川(あくたがわ)宿に到着しました。芥川一里塚があります。



 現在は三宝荒神(さんぽうこうじん)の祠(ほこら)が置かれています。仏・法・僧という仏教の三宝を守り、災いや穢(けが)れを退ける神仏習合(日本神と仏教を融合、調和させる)の守護神です。

 この日はここで終了し、ホテルに入りました。シャワーを浴びた後、しばらく動けずに横になっていました。歴史の道を歩いていることを強く感じる西国街道でした。

      

         


   
   NO.1

R1.9.9 
 京都~芥川宿


地図は正しく表示できないこともあります。トップページの参照地図を参考にして下さい。

  山崎街道を行く



 令和元年(2019)9月9日久しぶりに京都の街に立ちました。修学旅行や個人旅行で数多く来た街ですが、新鮮に感じます。京都駅八条口は新幹線からバスへの乗り換えでおなじみの場所でした。



 この歩きを決め夜行バスやホテルを予約した後に台風が発生し、バスが運行するかやきもきする状況となりました。八王子バス停では大雨の中をバスに乗り込みました。バスは東名高速を使用するらしく通行止めなど大丈夫だろうか?と心配もしました。
 しかしバスが出発するとすぐに寝てしまい、途中浜名湖SAで起きたときには天気は回復していました。バスは快晴の京都駅に到着したくさんの人がバスから降りたのです。簡単に朝食をすませいよいよ出発です。



 西国街道の起点は羅城門(らじょうもん)になります。始めに東寺により旅の無事をお願いしました。



 京都の街中では早朝に神社や小さな祠(ほこら)で手を合わせる人を多く見ます。京都らしいなあと感じてしまいます。





 羅城門の跡は小さな公園になっていました。この羅城門は平安京のメインストリート朱雀大路(すざくおおじ)の南端に作られた表玄関となる大門でした。



 街道は桂川(かつらがわ)を渡り日向(ひゅうが)市に入り長岡京を目指します。京都から西宮(にしのみや)宿までは山崎街道と呼ばれ人通りも多かったようです。太閤秀吉が朝鮮出兵の折に整備したため、一部は唐街道(からかいどう)とも呼ばれました。



 街道沿いは石畳なども敷かれ整備した道は美しかったです。