町を抜け沼田川を渡る本郷橋のたもとに大渡の大師堂がありました。橋のない頃、水が多くなると舟で渡り、渡れないときはこの大師道に泊まって待ったそうです。旅人の安全を祈願した大師堂は大切な場所でした。

西国街道は国道2号線より少し高い位置を並行するように進みます。

この地区には古墳群があります。亡くなった人や家が権力や富を持っている場合、その力を誇示する目的で作られました。今まで歩いてきた街道途中には継体天皇陵のような大きな前方後円墳もありましたが、ここの古墳はとても小さいものでした。

ただ古墳時代も変化をしていて、大化の改新で身分に応じて墳墓の規模を制限した勅令によって墓は身分以上の大きさにはできなかったようです。ともあれ古墳が多いと言うことはこの地区に富んだ家が多かった証でもありました。

国道2号線脇の旧道に入る場所に来ましたが、倉庫のような建物が建っていてどこかの会社の敷地のようになっていました。時代は変わるので仕方がありません。少し進んだ先の入れる場所から旧道に入りました。しばらく歩くとやがて人があまり歩かない道になりました。相当荒れています。

それでも昔道だった様子もあるので先に進みました。倒木を除け笹藪をかき分けて進みます。少し開けたところでは道に猪の堀跡がそこら中に見られます。

会わないといいなあと思いながら進むと今度は鹿の足跡がたくさん見られました。まだ新しいなと思いながら歩いていると曲がり道を曲がったところで鹿とばったり出会いました。私も鹿もびっくりしました。鹿は鋭い警戒声を発しながら山の斜面を駆け上がっていきました。あわててカメラを取り出して写真を撮りましたが…。

残念。(^^;)
この日は暗くなり山道も続くため、本郷町南方の日名内付近でこれ以上先へ進むことを止めました。タクシーを呼び本郷駅まで戻ると3万3千歩約20kmの歩きとなっていました。

NO.19
R6.12.16 三原宿~日名内
鹿との出会い
やっと歩けるようになったので、今までの遅れを取り戻す気持ちで前回から短い期間ですが西国街道歩きにやってきました。今回は地図上では道があやふやな藪こぎや湿地となっている山越えもある難所が続くため、事前調査や準備もかなり行いました。久しぶりに軽登山用の靴を使用します。
10時半ごろ到着し三原宿を出発します。

宿場内や付近には社寺が多く三原市重要文化財となっている順勝寺山門なども見られましたが、出発が遅いため先を急ぐのでゆっくり見られないのが残念です。宿場の外れで三原城西惣門跡の石碑がありました。次の地へ向かうという気持ちになります。

沼田(ぬた)川の手前に大きな建物が並んでいました。広島大学の三原キャンパスだそうです。とても立派な建物で敷地も広そうですが、ちょっと交通が不便そうで学生さん頑張ってほしいですね。(^_^)/

沼田川沿いの県道を歩いていると、ときどき旧道が離れます。道に入ると街道らしい雰囲気も出てきて楽しめます。三原市長谷町に小さな八重垣神社がありました。大きな忠魂碑も設置されています。驚いたのはその隣に砲弾のような物が設置されていたことです。
丸いのも砲弾でしょうか。忠魂碑と砲弾をしばらく見つめてしまいました。人の命を奪う物が現実にそこにあるとニュースの映像で見るのとはずいぶん違うなと重い気持ちになりました。ウクライナのことが頭をよぎりました。
歩きの途中には昼食場所がなくコンビニもありません。困ったなと思っていたらやっと食事処をみつけて食べることができました。素朴な和風の定食にほうじ茶とコーヒーが出て思わずにっこり。

本郷町に入りました。「ひろしまの明日香村」と言われる本郷町は広島で一番古い寺院跡や面白い石造物などあります。恵比寿神社にはカップル鯛も見られました。

この日はここからまだ先に進みます。
