今日は師走というのに暖かく、シャツ一枚でもほんのり汗をかくような陽気になりました。おだやかな風景の藤井川を渡ります。



 恋の水の石碑がありました。伊勢音頭で歌われた歌詞のようです。伊勢音頭は江戸時代、伊勢国で歌われ全国に広まった民謡です。「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」という歌詞は有名ですが、全国では替え歌も多く作られ普及しました。恋の水ってちょっと色っぽいですね。(^_^)



 他にもたくさんの石仏のお堂など街道にはたくさんの祠(ほこら)が見られました。





 尾道(おのみち)に近づき松尾山城跡あたりから山越えの道になりました。坊地(ぼうじ)峠を過ぎると尾道への下り坂になります。



 従是西 藝州領(これよりにし げいしゅうりょう)の碑がありました。藝州は安芸国(あきのくに-現広島地方)の別の呼び名でした。いよいよ尾道が近くなりました。坂を一気に下っていきます。下り終わった付近に久保八幡神社があったので寄って今日の無事を感謝しました。



 西国街道は国道2号線を越えて本町通りへ入っていきます。本町通りは210もの商店が並び芙美子通り、中商店街、本町センター街、絵のまち通り、尾道通りの五つの商店街で構成されています。少しレトロな雰囲気が人気で観光客もたくさん訪れます。


 
 この日はここで終了して尾道水道に出てみました。向島(むかいしま)が海を越えて正面に見られ新尾道大橋が夕陽に映えています。海上では各種の船がその大橋の下を通って帰路を急いでいるようでした。なんだかとても素敵な雰囲気でしばらくその場で海を眺めて過ごしました。



 


      

          
   NO.17


R6.12.2 
備後赤坂~尾道宿


坂と映画と文学の町


 春に父が亡くなりその後の整理が続いたため、師走に入ってやっと西国街道歩きに来ることができました。
 今回は尾道に連泊し以前からやってみたいことを計画しました。久しぶりの歩きに多少の不安もありましたが、出発して電車に乗ると「さあ行くぞ!」という気持ちが勝るようになりました。



 10時頃に備後赤坂駅に到着し、歩き始めると付近の山は紅葉が見られウキウキするような秋の歩きとなりました。久しぶりなので早足にならないように気を付けて歩きます。



 福山市赤坂に備後赤坂村の一里塚跡がありました。形は残っていませんが、江戸時代に整備され榎(えのき)が植えられていました。一里塚には「備後尾道ヨリ三里、備中板倉ヨリ十四里、前後三十六丁道」と記されていたそうです。



 福山市神村町に神社があったので寄ってみました。線路を渡り階段を登ります。思ったより数多くの石段に予想外の体力を使ってしまいました。階段は下から207段ありました。(-_-;)
 一番上には今伊勢宮(いまいせぐう)があり天照皇大神(あまてらすおおかみ)と豊受皇大神(とようけすめおおかみ)が祀られていました。境内には他に七つの神社が祀られています。説明には豊臣秀吉が九州下向の際この地で休んだことも記されていました。
 


 今津宿に入りました。幕藩体制の確立後、西国街道の整備とともに作られた宿場です。幕末には個数300戸以上、商家は軒を連ね駅馬5頭を備えて本陣を中心に大へん賑わったそうです。



 本陣は代々庄屋職の河本家が世襲して務めました。昔もこのようなりっぱな門があったのでしょう。