宿場外れの山が近いところに可愛いお地蔵さんが置かれていました。ともに毛糸の帽子がかぶせられていて拝む人の気持ちが感じられました。旅人の無事も祈っていたのですね。

北条早雲生誕の地、高越城跡の案内がありました。一介の浪人から戦国大名になりあがった早雲は「戦国時代は北条早雲の下克上から始まった」と言われるほどの人物で相模国(神奈川県)を統一し小田原城の城主となったと伝えられています。備中(現在の岡山県)の出身だったのですね。私の住む神奈川県に関わりのある人物でした。

その後街道には次々と古い建物が見られました。でも茅葺きの屋根は1919年に制定された建築基準法により広い地域で認められなくなったことで姿を消してきました。一部文化財として残るものありますが、屋根をトタンに変えて形を残した建物はここにも見られました。日本の風景に茅葺きの家があると素敵なんですが残念ですね。

山陽道の宿場にはあまり知られていない宿もあります。今市宿もその一つで間の宿として存在したのでしょう。でも昔は賑わっていて立派な家屋も建ち並んでいました。

日芳橋を渡ります。立派なトラス構造の橋で大正期に作られました。この形式では岡山県内最古だそうです。ここに橋が架けられたのは江戸時代末期で、それまでは水に入って渡ったのでしょう。大変でした。

七日市宿に入りました。小田川を前にした宿場のため人足など多くの人が必要とされた場所でした。今は本陣跡の碑があることで様子を知ることができます。

この日は少し先へ進んだいずえ駅付近で八幡宮に寄り、今日の無事を感謝して終了しました。


NO.15
R6.1.15 矢掛宿~七日市宿
北条早雲誕生の地
正月の松飾りもとれたので西国街道歩きを再開しました。前回の終了地、矢掛宿に到着するまで始発に乗ってから5時間以上かかりました。天気は良いのですが寒い日です。矢掛宿の後半の通りを見学しながら歩きます。外国の方でしょうか撮影機材を持ち、本陣などを撮影しています。邪魔にならないように先に行きました。

宿場外れで高通(たかとおり)川の栄橋を渡ります。この橋は明治になって架けられましたが、村の境にあったので境橋と言われていました。その後現在の名前になりました。明治以前は渡し場を徒歩で渡っていたそうです。深みもあるので渡りにくそうです。

街道は山あいの小田川に沿って進んでいきます。どちらを見ても山が見える風景は西国街道を歩く時に最初想像していませんでした。いつも海が見えるのかなと思っていたのですが、ここしばらくはずっと山あいの道です。

街道脇には古い民家が数多く見られます。瓦屋根に漆喰(しっくい)の白壁が特徴です。漆喰は珊瑚礁(さんごしょう)をルーツに持つ石灰石を焼いて水を加えたものにスサ(藁・麻・紙)にのりを加えて練ったものです。長持ちしていますね。
小田堀越間の宿(あいのしゅく)を通ります。間の宿は宿場と宿場の距離が長い時や峠越えなどの難所がある場合に自然と発生した休憩用の宿場です。当時は宿泊を禁止されていました。でも旅をする人達にはここも大切な宿だったのでしょう。

