百間川(ひゃっけんがわ)を渡ります。この川は旭川の氾濫から岡山城下を守るために作られた放水路ですが、流域に弥生時代、古墳時代の遺跡群が点在しています。古来から大切な場所だったんですね。



 川を越えると西国街道が岡山宿に向かって続いていました。水の多くなる時期はどんな川でも渡るのは大変なことだったと感じます。無事渡り終わったときには先に続く道が明るく見えた事でしょう。



 岡山宿が近づいて旭川に架かる京橋を渡りました。渡り終えた近くに石材の橋脚がありました。復元されたものですが「延宝(えんぽう)九年辛西(かのととり)十月日」と刻まれており、1681年徳川綱吉が五代将軍になった頃の補修材です。京橋はそれ以前の1595年頃に架けられ何度も流失しては架け替えられてきました。



 岡山宿の現在の西国街道はモールとなり賑やかな通りとして残っています。この通りには大きな恐竜の顔やプテラノドンが屋根近くを飛んでいたり楽しい工夫がされていました。



 今日の歩きは昼頃、山陽本線や新幹線線路を越えたところで終了しました。歩きの前にせっかく岡山に来たのですから岡山後楽園を見学して行こうと計画していました。
 後楽園は岡山藩二代目藩主の池田綱政が1687年作庭を開始し、1700年頃に現在の形となった日本庭園です。日本三名園に数えられ、綱政は自分好みの庭を散策して憩いの時間を過ごしました。庭を一望できる延養亭(えんようてい)をはじめ三百年の歴史が息づいており、茶室や築山などため息が出るほど美しい園でした。



 園内にはたくさんの外国人も訪れ、庭回りの休憩所では靴を脱いでくつろぎ、足元を流れる水路に目を向けているのでした。心穏やかな時を過ごせた後楽園でした。

      

          
   NO.12


R5.10.24 
藤井宿~岡山宿


  岡山後楽園



 この日の歩きは上道駅付近からです。天気は晴れ、昨日の疲れがあり体が重い感じがします。少し体操をして体をほぐしてから出発しました。



 安国寺経塔(きょうとう)がありました。1492年室町時代の頃に消失した安国寺を江戸時代になって再建したことから、この経塔を安国寺に近い山陽道(西国街道)沿いに建てたそうです。解説板がないと石碑の文字は読めなくなっています。歴史を感じますね。



 藤井宿を通ります。藤井宿は岡山宿に最も近い宿場町で、江戸時代の参勤交代の時に岡山城下以東最初の休息地でした。そのため東本陣、西本陣が置かれ賑わったそうです。



 宿場外れに素盞嗚(すさのう)神社がありました。兵庫県西宮市甲子園町にも同名の神社があります。境内が阪神甲子園球場のライトスタンド場外に当たることから、阪神タイガースの選手・ファンや高校野球関係者が必勝祈願をすることが多く、「甲子園神社」「タイガース神社」とも言われています。ここは同名でも大部静かです。
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 この神社から北の方向に新往来(おうらい)の案内があります。幕末の頃、尊皇攘夷(そんのうじょうい)の騒動があり、警戒のため街道を行き来する人達を迂回させて通る新道を作ったとこのとです。岡山城下を守るためでした。