歩く道は街道らしさはなく、住宅街や整備された川の堤防に沿って歩くようになっているので昔の面影は見ることができませんでした。堤防沿いを歩いているときにベンチがあったので休憩しました。川にはカモメが群れでプカプカ浮かんでいてのどかです。

少し疲れたのでザックから飴(あめ)の袋を取り出して封を開けたときです。突然一斉にカモメが私に向かってきました。襲(おそ)われるのかとびっくりしました。きっといつも餌(えさ)をあげている人でもいるのでしょう。期待して集まったかもめには申し訳ないけど何もありませんでした。ごめんね。(^_^)

堤防の道には昔の街道の様子がタイルにはめ込まれています。少しだけ昔の立石を偲(しのぶ)ぶことができました。

この日の到着地点である東白鬚(しらしげ)公園は先日下道を松戸から歩いてきた道と合流します。ここで鎌倉へ向かう勢力は大きくなって行くのですね。
到着地付近に立派な像が建っていました。榎本武揚(えのもとたけあき)像でした。幕末に幕府海軍指揮官として官軍と戊辰(ぼしん)戦争を戦い、降伏した後は新政府の要職を歴任しました。
この付近の浅草橋あたりの生まれだそうです。

2回の歩きを通じて川の存在を大きく感じました。川越えは常に困難と時間がかかり、一刻も早く行かないと頼朝に怒られると考えた武士達はあせる気持ちをもったであろうと感じられました。

NO.2 国府台~白鬚橋
R2.2.6 約11km
江戸川の堤
先日歩いた下道が水戸街道と重なっていることに気がついた時、ふと安房国(あわのくに-千葉県)の御家人達はどのようにして鎌倉へ向かったのか気になりました。
鎌倉街道は多く枝分かれして各所の武士が集まる道なので街道と呼ばれない道も多く使われたようです。そこで今回は現在の市川市付近にある里見公園・国府台(こうのだい)城跡からも歩いてみました。

天気は快晴、富士山がよく見えます。風が強く山の雪が舞っているように見える寒い日となりました。国府台城は戦国時代に築城され江戸時代に廃城となりました。現在は里見公園となっています。そこには明戸(あけど)古墳があり、石棺が残されていました。戦国大名、里見家の石棺であるようです。

すぐ横を江戸川が流れています。川岸には江戸時代に設けられた市川の関所がありました。街道の渡しに必ず設けられた関所は幕府を守る仕組みが徹底していたことを示しています。




(しもつみち)