品川区の光福寺(こうふくじ)前を通るとき境内に立派な銀杏(いちょう)があるのに気がつきました。樹齢800年になるというこの樹は鎌倉幕府が開かれた頃に生まれました。よく生き残ってきたなあと感心しました。明治時代まで沖合を行く漁師達が目印にしたそうです。海が近かったのですね。

品川区には大森貝塚遺跡もありました。この貝塚はアメリカ人エドワード・モース博士によって日本初の学術調査が行われた縄文時代後期の遺跡だそうです。実際に地層の中に貝がある様子が見られました。縄文人がここで生活していたのですね。

池上では本門寺(ほんもんじ)に寄りました。本門寺は日蓮宗(にちれんしゅう)の大本山で、1282年病気治療の旅の途中で立ち寄った日蓮上人が建てられた堂を開堂供養したのが始まりです。その後、日蓮上人はここで亡くなられそれを悼(いた)んだ武士の池上氏は寺領を寄進(きしん)して池上本門寺を守りました。

境内には早い桜が鮮やかに咲いていました。

六郷(ろくごう)には江戸時代に整備された用水路がありました。現在は廃止されモニュメントとして一部残っています。多摩川の水を農業用水として利用し、四カ領用水などとも呼ばれました。多くの場所で利用されたのですね。

そして多摩川の土手に出ました。丸子橋が見えます。当時は舟の渡しか徒渉で越えていく川でした。多摩川べりは前年の豪雨で河川敷が大きな被害を受け、そこかしこで修理の重機が動いていました。私の住む相模原でも河川敷が被害を受け、復旧に時間と費用がかかっています。ダムのない昔は大雨のたびに川は氾濫(はんらん)の危険があったのでしょう。鎌倉へ向かう人々は大変でした。

鎌倉へ早く着きたいという気持ちがありましたが、疲れてしまったので今日はここで終了しました。頼朝に「まだか!寄り道ばかりするな」と怒られそうです(^^;)

NO.3 大手町~丸子橋
R2.2.11 約19km
芝の増上寺

建国記念日の皇居前、大手町を出発です。駅伝大会があるのか皇居周辺はランナーでいっぱいです。歩き始めてすぐに日比谷公園があります。以外と東京の中心は緑がたくさんあるなとほっとします。公園を過ぎると東京タワーがビルの間から窮屈(きゅうくつ)そうに見えてきました。

道は芝の増上寺(ぞうじょうじ)の裏を通ります。少し寄ってみました。
増上寺は1393年浄土宗の寺として開かれました。鎌倉時代後の室町時代に南北の天皇家が統一され足利義満(あしかがよしみつ)が勢力者となった頃になります。江戸時代には徳川家の菩提(ぼだい)寺として大隆盛を誇りました。

温かい日差しの中で参拝を終えて裏手の墓所に回ってみました。墓所には二代将軍秀忠(ひでただ)の墓をはじめ、七代家継(いえつぐ)、十四代家茂(いえもち)公、皇女和宮(かずのみや)の墓がありました。全ての墓所がここにあるのではなく他に上野寛永(かんえい)寺や谷中(やなか)の墓地にもあるそうです。

右が秀忠将軍の墓です。墓所の外には小さな地蔵さんが風車を回してたくさん並んでいました。

道は高輪(たかなわ)町を通ります。鎌倉時代には雑木林や湿地帯にススキが背丈ほども伸びて一面をおおっていたところですが、現在はプリンスホテルやロシア通商代表部、アイスランド大使館などたくさんの海外公館がある立派な通りでした。

そして品川町から大井町に入ります。庶民的な家が並び道も細くなって肩の力が抜けてきました。(^_^)



(しもつみち)