大戸神社がありました。鎌倉街道はここから南に折れ、横浜方面に向かいます。



 谷間の住宅地から尾根筋の道へ急な階段の道がつけられています。このあたりは道が細く上り下りが激しいところです。



 更に道は細くなり車は通れません。下っていく先には階段がありました。鎌倉時代にはけものみちのようなところだったのではないかと思います。



 道が緩やかになってきた頃に横浜指定有形文化財の飯田家住宅がありました。旧北綱島村の名主の家でした。開拓主として土豪(どごう)的屋敷構えがあり堀も掘られていました。砦(とりで)のようでした。



 鶴見川を渡ります。川越えは一日に何度もあり、濡れた服を乾かしたり寒いときにはどうしていたのでしょうか。



 菊名神社に着きました。鳥居はありましたが現代風の神社に感心しました。「がまんさま」の説明がありました。手水鉢(ちょうずばち)を支える石造りの鬼のことです。長い年月同じ仕事を飽(あ)きることなく続けていることから、人も努力・忍耐こそが開運をもたらすと諭(さと)しているそうです。 



  いつもは3万歩程歩くのが当たり前でしたが、この日はすでに足が疲れてしまいました。街道歩きも続けていないと体力が無くなってしまうなと実感しました。「がまんさま」のように努力・忍耐を続けていこうと思いました。




      

   
                  
NO.4  丸子橋~菊名神社
  R3.11.2  約12km
 

 渡しとけものみち 



 コロナの影響で1年9ヶ月ぶりの街道歩きとなりました。人混みの中に出ることや、長い距離を歩くことができなかったため体力面でも不安がありました。多摩川丸子橋付近の浅間(せんげん)神社に無事を祈って出発です。



 多摩川の渡しは橋の下流になります。広い川なので渡るときは慎重になったことと思います。



 道は中原街道を行きます。江戸がまだ開発されていない頃、平塚から江戸中心に向かう重要な道でした。明治期に建てられた原家旧住宅表門(おもてもん)が保存されています。母屋(おもや)は川崎市立日本民家園に移築されました。



 中原街道が鍵型(かぎがた)に曲がっているところに西明寺(さいみょうじ)がありました。徳川将軍小杉御殿(ごてん)跡の碑もあります。防衛のための道にあることから重要な場所だったのかも知れません。



 庚申塔(こうしんとう)がありました。江戸時代のものですが、道標を兼ね東江戸道、西大山道、南大師道と彫られています。大切な分岐でした。
 





          

                                 

 
              (しもつみち)