荒川を越えたと思うと今度は隅田(すみだ)川に沿って歩きます。その川に隣接した東白鬚(しらひげ)公園には木母寺(もくぼじ)があり、境内に梅若堂がありました。
 京都の貴族の子である梅若丸が人買いにさらわれ、連れ回された後に隅田川のほとりでなくなりお坊さんによって塚が作られました。死後探し求めて来た母が塚の前で念仏を唱えると梅若丸の亡霊に出会え、悲しみの対面を果たしたという伝説がありました。かわいそうですね。
 この話しは室町時代の能となり、江戸時代には歌舞伎、浄瑠璃(じょうるり)にも取り上げられたということです。



 隅田川神社には梅の花がきれいに咲いていました。春を感じさせてくれますね。川のほとりにあるこの神社は水神さまを祀っています。


 


 街道は隅田川に沿って行きます。以前見た浅草浅草(せんそう)寺の近くも通りますが観光客が少なく感じました。新型コロナウイルスが流行し始めていることで中国からの皆さんが来られなくなっていることが原因です。マスクをつけている人が本当に多く、不安になりました。



 隅田公園吾妻橋近くには戦時中の東京大空襲で10万人以上の死者を出したことを慰霊(いれい)する碑があります。戦争がなければ日本のために活躍した人達でしょう。誰の責任だったんだろう。



 東京駅近くになりました。渋沢栄一氏の像が日本銀行のそばに立っています。現在のみずほ銀行、王子製紙、東京ガスなど多くの会社に係わり、BANKを銀行と訳したのもこの人で、資本主義の父と呼ばれたそうです。軍の予算削減が認められなかったことで官僚をやめたこともありました。こういう人こそ政府に残っていれば戦争なんておこさなかったのに。悔やまれます。




 夕方、大手町皇居前に着きました。新天皇が即位したのが去年で、もう令和2年になったのですね。平和な時代が続くといいですね。





      

   
                  
NO.1  松戸~大手町
  R2.2.4  約20km
 

  梅若丸の伝説 



 昨年10月以来の歩きとなった鎌倉街道下道出発地の松戸神社に旅の無事をお願いしました。体操教室の子どもとのかけっこにつきあってしまったことから筋肉を痛め、その後体操協会の体操祭、35周年と立て続けに行事があったことも影響しました。



 ともあれ久しぶりの歩きは心がどきどきワクワクしています。水戸街道でもある松戸宿からの鎌倉街道は大きな川がいくつも横たわり、これを越えて鎌倉へ向かう武士達はかなりの困難と日数を要したことと想像できました。



 鎌倉街道は江戸時代さらに整備され、江戸に入る武器や江戸から脱出する各地大名の人質を監視する関所が設けられました。川越するこの場所と反対岸に関所がありました。



 川を越えると街中を通っていきますが、スカイツリーがいろいろな場所からそびえて見られます。昔の人には想像もつかない景色でしょう。私たちも数年前までは想像していませんでした。
(^_^)



 道を歩いていると突然変わった像が見られました。堀切天祖(ほりきりてんそ)神社の十二支神です。干支(えと)を祀ったものでお正月ではなじみがありますね。でもなんで豚がいるんだと指を折って考えたら猪(いのしし)でした。神様失礼しました(-_-;)



 今度は荒川を渡ります。現在では高速道路が川をまたいでいます。
 






          

                                 

 
              (しもつみち)