旧余呉(よご)小学校跡地に昭和2年に建てられた講堂がありました。とても立派で思わず足を止めてしまいました。この建物は交藝(こうげい)の郷、文化芸術の拠点として現在も使用されているそうです。



 郷界一里塚之地碑がありました。今までの一里塚と異なる郷界という言葉はちょうど郷の境目にあるためでしょうか。境界としても使われていたのですね。 



 木之本宿に入りました。長い距離を歩いてきたので宿場に入ると本当にほっとします。峠の大変さが身にしみました。冬の季節はさらに大変な事でしょう。



  この日は短めですが木之本地蔵尊で終了しました。眼の仏様として知られています。境内には仏様のまわりに片目をつぶったカエルの置物がたくさんありました。「身代わり蛙」と呼ばれ眼の病気で悩んでいる人達の身代わりになってくれるそうです。



  本堂の下に戒壇巡りがあり入ってみました。中は真の暗闇でまったく見えません。壁伝いに手探りで歩き6つ目の角を曲がったところに大きな鍵があります。この鍵は木之本地蔵大菩薩の手とつながっているそうです。出口が近づき日の光が見えてくるとほっとしました。見えることのありがたさが分かりました。



 

         

      


 NO.20

    
柳ヶ瀬宿~木之本宿


 R1.5.20  約17km

   木之本地蔵尊


 前日は雨が降り始めたため柳ヶ瀬宿の集落で中断し、翌日柳ヶ瀬宿関所跡から歩きを再開しました。



 集落の所には畑が見られます。しかしその畑の規模は小さく、必ず金網が囲っています。いかに猪や鹿の食害が大変なのか分かります。



 明治天皇柳ヶ瀬行在所の案内があります。立派なお屋敷で今も残されていました。



 道はくねり昔はかやぶき屋根だった家々が連なり街道の雰囲気があります。