道は湯尾(ゆのお)駅を過ぎると山道になります。思っていたより急な森の中の坂を登っていきます。久しぶりに熊よけの鈴を出しました。湯尾峠は古代から交通の要衝で、源平の合戦や、南北朝時代の戦い、一向一揆など幾度も戦乱の舞台となりました。そのためでしょうか峠近くには石垣も積まれていました。



 峠には芭蕉の句碑があり「月に名を つつみ兼ねてや いもの神」と刻んでありました。いもの神?難しいなあ俳句は。眼下には今庄の町が見下ろせるのでした。



 下りの道も急です。落ち葉が敷きつめられた道の途中に直径10cm程の丸い足跡を見つけました。まだ新しいもので今まで見てきた鹿や猪のものとは違います。峠道の入り口には熊出没注意の看板があったことを思い出しました。地図でパンパン音を出す手に力がこもりました。(^^;)



 今庄の街並みは当時を偲ばせるもので楽しかったです。保存をすることは大変なことだと思いますが、ぜひ残してほしい風景です。



 中に珍しい土壁の家がありました。京藤甚五郎家(きょうとうじんごろうけ)と説明があります。江戸時代造り酒屋であったこの家は大火から守るため外壁を土壁にしたそうです。防火用に両側の卯建(うだつ)も高く防火意識が高かったのですね
 幕末、水戸天狗(てんぐ)党がここに泊まり酒に酔って柱に刀傷を残したそうです。迷惑だったでしょうね。(^^;)


 
 羽根曽(はねそ)踊りの看板を見つけて不思議に思いました。踊っているのが武士や虚無僧(こむそう)、旅人たちだからです。今庄宿では盆踊りとして舞われたそうで、隆盛期には身分、職の分けも無くみんなが楽しみました。いいですね。



 この日は今庄駅で終了し福井から夜行バスで東京に戻りました。

         

      

 NO.18

     
武生宿~今庄宿


 H31.4.23  約16km

   湯尾峠の碑


 駅前の道を突き当たると総社大神宮があります。境内には「越前国府」の碑がありました。越前国の神々をまとめて祀(まつ)ったという総社に挨拶して武生の町を出発しました。



 町中にいわさきちひろの生家案内があったので寄りました。いわさきちひろは絵本作家・画家で、子どもの水彩画はやさしくて癒(い)やされる作品がたくさんあります。小さな生家はそんなちひろさんを感じさせてくれました。



  町中のポスターより
 

 街道脇には水の入った田んぼのあぜに芝桜が咲いていて、美しい日本の風景だなあとつい足が止まります。その向こうを2両編成の電車がゆっくり走っていきました。



 工事中の大きな高架橋(こうかきょう)がありました。北陸新幹線の線路が通るそうです。現在は高崎から金沢まで通っていますが、将来は敦賀、京都を通って大阪に至るそうです。この南越地区工事が完成すると北陸街道をまたいで新幹線が走ります。