お店のすぐ横に立場跡がありました。昔、城下の中心地だったのですね。鐘楼(しょうろう)は今でもつかれているそうです。



 大聖寺町を過ぎると山道となりました。道は荒れていて大変です。



 旧北国街道の案内碑を過ぎて橘の宿といわれた村に入ります。



 途中にお国境の名号塔(みょうごうとう)がありました。加賀方面から越前へ入国する人々をお迎えして旅の疲れをねぎらう目的で建てられたそうです。ありがとうございます。



 この日は山を抜けるのこぎり坂を下ると蓮如(れんにょ)道という名称の道となりました。浄土真宗を広めた蓮如上人(しょうにん)がむかし吉崎御坊(ごぼう)へ向けて通った道です。この道には上人に関する数多くのエピソードが紹介されていました。
 ただ旧道沿いにはお店が無く、昼食もとれないまま3時半やっと小さなお土産屋さんでぜんざいを食べられてほっとしました。

「くたびれたやつが見つける一里塚」
       (-_-;)




         

      

 NO.15

   
作見宿~金津宿


 H30.10.16  約23km

 大聖寺の町並み


 高速バスが加賀温泉駅に着きました。駅前で出発準備をしますが朝食を取るためのお店が近くになく探していると低い位置に瓦(かわら)屋根がある一角がありました。屋根瓦の展示会かな?



 紅葉が少し始まり嬉しい気分の歩きです。



 管生石部(すごういしべ)神社に寄りました。585年、疾病(しっぺい)の流行を鎮(しず)めるため菅生石部神が庶民の救済のためここで祈願したことに始まったそうです。歴史がありますね。



 大聖寺(だいしょうじ)町に入りました。加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄え、茶道、能楽、生け花などの芸事が庶民の間に浸透(しんとう)した町であったそうです。九谷焼(くたにやき)はここで生まれました。でも不思議なことに大聖寺というお寺は無いそうです。



 モダンな旧家がカフェをやっていたので休憩も兼ねて寄りました。彫金のお店や教室も兼ねていて、ここで作られた物が総理大臣のお気に入りだったということもあったそうです。すごいな。