小松市内に入り加賀藩三代藩主前田利常の居城であった公園で休憩しました。隣には小学校があり運動会の練習が行われていました。緑も多く池もきれいでゆっくり休めそうだとリュックを降ろしていると。突然ものすごい轟音(ごうおん)が頭の上を通過しました。何事かとびっくりして空を見上げると自衛隊の戦闘機が飛び去って行きました。
この後10機以上が轟音をたてて離発着をするのです。とても休憩どころではありませんでした。隣で練習している子供達や先生は大丈夫だろうかと心配しました。この轟音では先生の言うことなど全く聞き取れません。しかし本当にびっくりしたことに授業はまったくとどまることなく進んでいるのです。この轟音が聞こえていないかのようです。慣れでしょうか?小松市に育つ子供達が本当に気になりました。

古い家屋が残る市内は静かな環境が似合いますが、道を歩くと自衛隊小松基地の航空祭ポスターが各所に張られているのでした。

何をお祈りしているのかな?

田園地帯を歩きます。七曲がり街道跡の石碑がありました。昔は道をくねくねと曲げていたそうです。それは押し寄せる軍勢の数や装備を知るためにわざとそうしたのだそうです。今は車も普及し便利な一直線になりました。

一里塚跡がありました。加賀国には18カ所の一里塚があったそうです。明治期以降に一里塚は民間に払い下げられて今は個人の所有地です。

今回の歩きの終着地、加賀温泉駅近くに来ました。大観音加賀寺の73mにもなる観音様が迎えてくれました。建立は新しく1987年頃だそうです。雨も降り出しさすがに疲れも出てきました。この日は小松市内に戻り夜行の高速バスで東京へ戻りました。


NO.14
寺井宿~作見宿
H30.9.12 約23km
轟音の下で
昨日は能美市ふるさと交流研修センターに宿泊しました。街道途中にはここしか泊まるところが見つからなかったためですが、とてもきれいで部屋も広く、交流ロビーなどもあり良かったです。朝、出発すると地元の方が声をかけてくれ昨日の終了場所まで乗せていってくれました。長い距離だったので本当に助かりました。町の外れまで来ると「なんてんばし」がありそこには大名行列の様子が色鮮やかなタイルに描かれているのでした。素敵でした。


交差点に高堂遺跡の案内がありました。弥生時代から室町時代の大きな集落遺跡であるそうです。中には古墳時代の遺跡もあり木簡(もっかん)なども出土し、とても大切な場所であったようです。先日の台風の影響でしょうか樹が根元から折れていました。

富山県でも見られた慰霊碑がここ石川県でも多く見られました。日露戦争時代に多くの兵隊が亡くなったのですね。

梯(かけはし)川にかかる梯大橋を渡ります。昔は渡し船での川越えでしたが江戸時代になると舟を並べた舟橋になったそうです。

橋を渡った大川町は梯川がしばしば氾濫(はんらん)し泥の町となったため「泥町」と呼ばれたそうです。あまり名誉な名前ではないので町民で大川町と名前を変更したそうです。

