藩境塚
野辺地宿~野内宿
H27.12.8(火) 29km
出発してすぐ野辺地(のへじ)八幡宮に参拝しこの旅の無事終了を祈りました。海沿いの道は少し寒いのですが気分がいいです。歩いた道の白鳥渡来地にはまだ白鳥が見られず残念でした。

海の向こうに下北半島の恐山山地がよく見えます。

海沿いで見られるのはカモメでしょうか。ずいぶん人に近い所で生活しています。


馬門(まかど)宿外れに馬門御番所のモニュメントがありました。藩境に近いことで厳しい取り締まりが行われたと思います。

津軽藩と南部藩の藩境に築かれた藩境塚がありました。二本又川(ふたまたがわ)を挟んで4基建てられています。

それぞれこれより東南盛岡領と西北津軽本次郎領と記載されています。

小湊(こみなと)宿の平内町には1782年頃の天明飢饉(てんめいききん)供養塔がありました。多くの人が餓死し家も半分が空き家となったそうです。餓死なんてつらい話ですね。この年は日本全国で同じような記録が残っています。

街道は少し海から離れ山あいを通ります。

街道脇には貝殻の捨て場がありました。陸奥湾(むつわん)は帆立貝(ほたてがい)の名産地で漁師小屋がたくさんあり、そのため帆立の殻がいっぱい出るのですね。

この日は夕方暗くなってから浅虫(あさむし)温泉街に到着しました。疲れて寒かったため温泉が身にしみました。(^_^;)



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