藩境
      水沢宿~黒沢尻宿
 H27.7.8(水)  21km



 ホテルを出て駅へ向かう途中で小学生が転び怪我(けが)していたため手当を行いました。そばに女子高校生がいて良く介抱(かいほう)をしてあげていたので褒(ほ)めてあげました。その後小学生の近所の人が来てくれたので依頼して先へ進むことができました。
 街道脇に大久保利通(としみち)と大隈重信(おおくましげのぶ)の宿泊地の碑が建っていました。維新の戊辰(ぼしん)戦争で奥州列藩との戦いの時にこの地へ来ていたことがわかります。





 胆沢城(いさわじょう)は坂上田村麻呂が802年に築いた柵(さく)で囲われた砦です。150年も鎮守府(ちんじゅふ)として守りについていたそうです。今は田圃になっていました。







         




 途中休むところも無く失礼して泰養寺(たいようじ)の山門下で休みました。仁王様が立派で感心しました。





 県道沿いをずっと歩きます。リンゴもまだ青い夏の日でした。





 北上市の南側に伊達領(だてりょう)と南部領の境塚がありました。これは複製だそうです。



 藩境となる鬼柳(おにやなぎ)関所跡の看板も近くにありました。近くの和賀川を渡ると黒沢尻の町中に入ります。 






       

     
             

 

                               

 

     
NO.37