しばらく歩くとその一ノ谷の合戦場がありました。海に面し後方は急峻(きゅうしゅん)な山です。こんな所を義経(よしつね)は馬で駆け下ったのかとびっくりしました。油断していた平家は混乱し海に逃れるしかありませんでした。

一ノ谷の合戦で命を落とした敦盛の塚、五輪塔がありました。
北海道の礼文(れぶん)島で見られるアツモリソウはその敦盛の武具、母衣(ほろ)から名付けられたそうです。

街道に明石大橋が見えてきました。海峡の町らしく漁業を守る海神社もありました。


明石大橋でこの日の歩きは終了しました。淡路島と明石大橋、孫文記念館が大きなロケーションでありました。


下から明石大橋を見上げると空に伸びていくような錯覚になります。昔の旅人達には想像もつかない建築物ですね。(^^;)

NO.5
R1.10.8 三宮宿~大蔵谷宿
源平一ノ谷の合戦場
曇り空の中を出発です。雨の心配もあり傘を用意しました。元町の商店街モールを抜けると大きな石柱がありました。

兵庫県里程元標でした。旅人の道しるべとして明治42年に建てられました。現在の場所は当時とは異なるそうですが、昔は一里塚がそれに該当します。「くたびれた やつが見つける 一里塚」休憩や距離の目安として励みになります。
神戸駅前に立派な神社があったので参拝しました。湊川(みなとがわ)神社です。


湊川神社は朝廷を守り最後まで志(こころざし)を変えず戦った楠木正茂(くすのきまさしげ)公を祀った神社で、明治5年、明治天皇に命じられ神社が創建されました。幕末には勤王の志士たちがこぞって墓所に参拝したそうです。

須磨駅横を通りかかると須磨寺前商店街の鳥居がありました。須磨寺は源平一ノ谷の合戦で源氏方の熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた平敦盛(たいらのあつもり)の首が葬(ほうむ)られたところです。
若干17歳の敦盛は海に逃(のが)れたところ「敵に後ろを見せるは卑怯(ひきょう)なり」と言われて引き返し戦い討たれました。愛用していた笛が須磨寺宝物館にあり、松尾芭蕉(ばしょう)も参拝したそうです。

残念ですが雨の心配も有り先を急いだため寄ることは出来ませんでした。
