佐波川を渡ると山が近づいてきました。溜め池の淵を回ると旧山陽道佐野峠の案内がありここから再び山道となります。短い距離ですが坂は急で少し息切れしました。


 そして坂を登り切ったところに佐野峠駕籠立場(かごたてば)があり、数多くの石碑が置かれていました。この立場は萩藩が編さんした書籍によると「中国路随一の見晴良き所なり」と書かれているそうです。



 駕籠立場には素敵な紅葉が残っていました。しばらく休憩して先へ進みます。



 道の下には中国自動車道の佐波川サービスエリアが見えるのですが山陽道は山の中の道となっています。



 やがて舗装道路に出て下ると岩淵の集落でした。集落や田んぼの道を進み国道2号線に沿うように進んでいきます。山陽道は古い道ですのでなかなか飲食店やコンビニがありません。この日は田んぼのあぜで休んだり、公園のベンチでおにぎりを食べて昼食としました。



 この頃になると昨日の疲れが出てきたのか足が前に進みません。道が平坦になっているので助かりますが、気持ちを奮い立たせるように自分を励まして歩きました。





 溜め池の多い道が終わる頃、椹野(ふしの)川が見えてきました。この川を渡れば小郡宿はまもなくになります。東津(ひがしつ)橋を渡りました。



 新山口駅と島根県増田駅を結ぶ山口線の線路を渡り小郡宿に入りました。あまり昔の面影は残っていませんが、山陰道との追分(分岐)でもあり交通の要衝として長州藩から重視されていました。萩藩では宰判勘場(さいばんかんば)という役所を設けて治めていました。



 小郡宿には三原屋本陣がありました。文久3年(1863年)長州藩が外国船を砲撃する攘夷(じょうい)をおこなったため、幕府使者が事件を問いただすため訪れ本陣に滞在しました。しかし話はつかず長州藩士は三原屋を襲撃して幕史3名が暗殺された三原屋事件がおこりました。激動の時代でした。現在は西中国信用金庫小郡支店となっています。



      

     


     
   NO.29
R7.12.2
    
  
今市宿~小郡宿
   防府天満宮


 朝テレビをつけ天気予報を見ると三日目の雨の予報がなくなり、曇りとなっていました。昨日あんなに頑張ったのにと少しうらめしく思いました。この日は朝食もゆっくり食べて8時の出発としました。防府には天幡宮があります。少し時間をかけて見学をしました。



 幼い頃より優秀だった菅原道真は55歳の時に右大臣という高位高官になりました。しかし時の権力者、藤原氏に罪をかぶせられ九州太宰府へ流刑となりました。その船旅の途中防府に寄港し、この地はまだ都と陸続きであるのでここに住まいを構え罪の許しを待ちたいと願ったそうです。


 
 しかし九州太宰府に住むようになった道真は2年後に亡くなります。翌年道実公の願いを知る周防国の人々により松崎の地に天満宮を創建しました。菅原道真公を祀る神社は全国に1万2千社あるそうですが防府天満宮は最初に創建されたとされています。



 境内にある春風楼からは防府の町が見下ろせ、昔は海までもが見えたのかもしれません。道真の遙か都を思う心がここに残っているように感じました。




 1時間近く見学をしてしまったためあわてて今日の歩きに入りました。今市宿を立ちます。すぐ本陣兄部家跡の看板がありましたが建物などはない更地でした。また宮市宿には萩から来る往還がつながっています。街道の合流する場所は重要な地でした。


 
 街道脇に種田山頭火ふるさと館がありました。現在の防府市生まれで出家してからは各地を放浪しながら数多くの俳句を詠んだ俳人です。



 山頭火の小道の案内もあり、子供の頃生家から松崎小学校までの歩いた路地を紹介していました。山陽道と並行していたので路地を歩いてみました。



 路地は山頭火のわらじの足跡が案内になっています。楽しい道でした。