きつねの嫁入り 


 朝周防久保駅に戻りました。今日まで天気は晴れで歩きやすかったです。歩き始めて県道140号線に沿って歩きます。少しして左へ折れて二之瀬橋を渡りました。その横には由加社という神社がありました。火除けの神として祀られています。



 下松市河内の急坂を登りきり山沿いの竹林の中の道を進みます。生野屋駅の所で線路を越えて行くと花岡宿となりました。旧山陽道の宿場町で花岡天満宮が由緒ある神社としてあります。



 町を歩いて行くと、お寺境内にきつねの嫁入りの写真が目に入りました。不思議な光景なので興味を持って調べてみました。
 昔徳の高いお坊さんが用を終えて山道を帰るときに数珠を落としたそうです。その夜枕元にきつねの夫婦が現れ数珠を届けに来たので自分達を供養して欲しいと頼まれました。お坊さんは感謝をし、きつねの夫婦の遺体を寺で供養したところ失せ物、たずね物が見つかるという霊験があらたかで寺を詣でる人が増えたということです。
 お坊さんは法静寺の境内に福徳稲荷神社を造り夫婦きつねを祀ったそうです。戦後きつねの嫁入り行列が行われるようになり多くの人に知られるようになりました。



 そのすぐ隣に花岡八幡宮があります。階段がたくさんあるので迷いましたがせっかくですので詣でました。この神社を勧進(教えを説き寄付を集め寺社を設営したりすること)するときに、一夜にして山が花に覆われたという伝説から花岡と名付けられました。



 この花岡八幡宮には藤原鎌足(かまたり)の創建した多宝塔が文化財としてあります。その多宝塔の隣には吉田松陰の像もありました。
 時間をかけて見学したので少し急いで先に進みます。街道は末武川を渡り丘を登っていきます。周南市久米に酒造がありました。街道沿いには宿場などで飲用されるからかその土地ごとに酒造があります。現在では日本全国どこでも注文して飲めますが、当時の酒はそこに行かなければ飲めないものでした。


 
 昼頃徳山駅前の商店街に着きました。旧徳山藩は毛利家の支藩で毛利就隆(もとたか)以後14代まで続きました。徳山には旧日本軍の軍港があり、戦艦大和の最後の出撃となった沖縄特攻作戦の最後の燃料補給地でした。徳山市は現在は周南市となっています。




      

      


    
   NO.26
R7.5.14
    
  久保市宿~徳山宿


  駅前図書館


 2日目の行程を周防久保駅で終了してから電車で徳山駅まで行きました。この日の宿泊を徳山駅前にしていたためです。徳山駅はかつて周南(しゅうなん)コンビナートの出光興産徳山製油所の専用線がつながり、貨物の取り扱いがある駅でした。現在は貨物は無くなり新幹線、山陽線、岩徳線が乗り入れる駅となっています。



 徳山駅に着いて夕食を購入しようとして駅ビルの中に入ってびっくりしました。そこは商店街ではなく図書館となっていました。しかも相当広い敷地の図書館です。本棚がずらっと並んでいてガラス張りの壁際には読書のための椅子やテーブルがあります。



 思わず中をのぞき歩きしてしまいました。端から端までの距離の長いこと、しかも本棚は何列にもなっています。階段を上がると3階のスペースでは学生達が学習しています。広いスペースなのに空きがありませんでした。
1階に降りて見ました。スターバックスコーヒーが入っていて、本を読みながら飲み物を飲んでいます。蔦屋書店も入っていて購入もできます。
 この日夕食後にもう一度図書館に行き私もカフェモカを飲んで一休みしました。とても素敵な時間を過ごすことができました。



 駅ビルは正式には周南市徳山駅前賑わい交流施設だそうですが、中心となるのが周南市立徳山駅前図書館です。
 暮れて暗くなった道をホテルに帰る途中、振り返ると図書館全体が明るく輝いていて素敵でした。