吉田松陰の足跡 

 欽明路駅に戻り西国街道歩きを再開します。天気は快晴で暑くなりそうでした。岩徳(がんとく)線に沿って歩いて行きます。山道を抜けたことから平坦な道をずっと歩いて行きます。少し単調で物足りなさもありました。玖珂(くが)宿に入るところで大きな石碑がありました。村の代表として代官に悪政を諫めた事から牢に入れられ、その後村民の努力で苦難の末開放された方です。なかなかできない振る舞いです。玖珂宿に入りました。



 歩く途中に吉田松陰先生宿泊の地とか、常宿の地などの石碑が見られます。吉田松陰は日本の行く先を憂(うれ)いた勤王の志士として知られています。萩の松下村塾では倒幕志士の代表格である久坂玄瑞(げんずい)、奇兵隊を組織し幕府を打ち破った高杉晋作、明治の初代総理となった伊藤博文などが松陰に学びました。そのこともあり山口県では吉田松陰を慕う人が多いのだと思います。



 高森宿に入りました。江戸時代の萩藩最東端の宿場として整備されました。本陣、脇本陣や番所、中間長屋があり物資の送り出しなど賑わった場所です。現在の本陣跡には門と塀のみがあり裏手はたかもり本陣保育園となっていました。



 この宿場内に宇野千代文学碑がありました。玖珂郡横山村出身の大正昭和平成にかけて活躍した小説家・随筆家です。多くの著名人との恋愛、結婚をするなど奔放(ほんぽう)な生き方をした女性です。女流文学賞や菊池寛賞、文化功労者賞も受賞しました。エネルギーあふれる生き方はすごいなと感心します。



 今日の歩きの中では人物をたたえる顕彰碑を数多く見かけました。この周防(すおう)の土地柄なのでしょうか。人物の功績や生き方を長くとどめようとする気持ちが強く感じられます。
 道は再び山の中となり中峠を越えていきます。峠には熊毛郡と東玖珂郡の郡境の碑がありました。



 山から下り道の折れた所に法王山正覚寺があり、その門前に今市宿が見えてきました。宿と言っても坂の途中にある小さな宿です。このあたりでは当時多くの宿場が必要とされていたのでしょうか。大変な山越や川越えの前にはよく置かれていましたがここはそうでもなさそうです。参勤交代で通る大名が多かったのかな?



 そしてほどなく呼坂(よびさか)宿になりました。ここも坂の上にある宿で地形がV字の谷なことから下に声がよく聞こえるということでこの名がついたとか、道が曲がりくねっているところから海老坂と呼ばれそれがなまったのだとも言われています。立派な本陣がありました。


 
 この日は周防久保駅まで歩き終了しました。錦帯橋周辺も歩いたので4万3千歩にもなり昨日の疲れと合わさり少しきつかったです。


      

     



     
   NO.25
R7.5.13
    
  玖珂宿~久保市宿


    錦帯橋


 昨夜は岩国駅近くのカレー店で食事をしました。その店は混雑していましたが、その店のお客さんは私以外は全て外国人でした。そういえば岩国には基地があります。駅から2kmほど離れた岩国基地には多いときには9000人もの米軍関係者が生活しているそうです。納得しました。
 朝7時過ぎに錦帯橋を訪れました。以前も家族旅行で訪れた事がありましたが、周辺を散策していなかったため良い機会と思って計画に入れていました。



 周辺の観光場所はほとんどが9時頃の開始でしたので散策のみとなりました。錦帯橋を渡るとき小学生が通学のためでしょうか渡っていたので朝は通学路にもなってるんだと感心しました。

      

 錦帯橋は日本三大名橋の一つで五連のアーチからなる橋は全長193mで幅が5m程の木造橋です。クギが1本も使用されておらず木組みだけで建設されています。1673年に開通、翌年流失しすぐ再建されてからは改修されながら250年も流失することがなかったそうです。しかし1950年の台風の時に残念ですが流失しその後再建されました。でも素晴らしい技術と美しさが継承されていることは誇りですね。



 橋を渡るときに山上に岩国城が見えました。初代岩国藩主、吉川広家(きっかわひろいえ)によって1608年築城されました。現在の天守は1962年に再建されたものです。ロープウェイがあるので行ってみたかったのですが、まだ運行していませんでした。残念です。



 橋を渡ると岩国藩時代の旧邸宅や神社、庭園などがあります。山が近いため建物が五月の鮮やかな緑に包まれるようで素敵でした。人通りの少ない静かな通りをゆっくり散策していると鵜の飼育施設がありました。錦帯橋の架かる錦川では6月からう飼が開催され遊覧船が多数出船するそうです。



 ひとまわり歩いた所でふと足を止めました。長い刀を構えた剣士の像があります。佐々木小次郎だ。そういえば宮本武蔵と佐々木小次郎は山口県下関町にある巌流島(船島)で決闘をしたことで有名です。でも何で錦帯橋なんだろう?調べてみると吉川英治の小説「宮本武蔵」の中で小次郎が錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つところを見て燕返しの術を得たと書いていることからだそうです。



 自分の知らなかった事に出会えることは楽しいですね。