炮烙(ほうろく)地蔵の社がありました。利根川の関所を破ろうとした多くの者が火あぶりの刑になりました。この地の人達はそれを憐(あわ)れんで建てたそうです。

幸手(さって)宿と栗橋宿の中間にある小右衛門村の一里塚跡です。

日光道とつくば道の合流点がありました。鎌倉へ向かう武士達はここで合流し数を増して進んだのかもしれません。

幸手宿で日光街道とは道が離れ、御成(おなり)街道に入ります。この街道は徳川将軍が日光に詣でる時、人の多い日光街道を避けて中山道から日光街道に抜ける道としてありました。重要な道だったんですね。その街道沿いの松が残っています。

西行法師見返りの松碑がありました。この松は最近のものです。西行法師が旅の途中で病気になりここで看護を受けながら松を愛(め)でていました。回復して旅立つときこの松をふり返りふり返り別れを惜しんだそうです。

鎌倉街道は和戸駅付近で畑の小道になっています。長い影を引きずりながら冬の短い陽を感じました。道は東部鉄道伊勢崎線に分断されていて、この日はここで終了しました。


NO.1 古河宿~和戸駅
H31.1.4 約20km
合流点

新古河駅を出発して渡良瀬川を渡ります。少し上流には有名な渡良瀬川遊水池がありました。鎌倉時代よりあった古川城は川に面して城から川に出る水門がありました。
三国橋を越えるとすぐ頼政神社がありました。源頼政は京都宇治(うじ)で平家と戦い自刃(じじん)したそうです。従者に首を持ち帰らせる途中ここで首が重くなりここに埋めました。いざ鎌倉にふさわしいここを出発点としました。

お正月ということで長谷観音に詣(もう)でました。下総国(しもうさのくに)古河を本拠とした関東足利(あしかが)氏にゆかりのある寺だそうです。

古河宿の町並みを過ぎると大きな通りに平行するように鎌倉古道がありますが、廃棄物が置かれていたりしてちょっと残念な道になっていました。

やがて道は利根川を渡ります。遠く山並みがきれいでした。川には鴨が群れで泳いでいます。寒さはありますが日が当たると暖かくなる歩きやすい日でした。

川を越えると日光・奥州街道歩きの途中にも休んだ八坂神社がありました。八幡神社も境内にあります。源氏や平氏など全国の武家から武運の神「弓矢八幡」として信仰を集めて稲荷(いなり)神社に次ぐ数があります。
ここで少し休ませていただきましたが、社前には招福の鯉が建っていました。川沿いの神社らしいですね。



(なかつみち)