NO.4   武蔵嵐山~狭山
  H30.2.26  約25km


   縁切橋 



 町を抜けて都幾(とき)川へ下る途中に蛇坂(へびさか)の水神塔がありました。水難除けや洪水除けのために作られました。普段は水量も少ない川なのですが。





 御所ヶ谷戸(ごしょがやと)大蔵下宿の鎌倉街道の碑を見て進みます。



 大蔵山大行院の神明宮がありました。この地は木曽義仲(よしなか)公の生誕地だそうです。父兄弟の争いに敗れ木曽へ逃れて成人となり源氏の旗揚げに参加したことは有名です。



 付近は大きな農家が多く源氏に関わる人々の暮らしがあったようです。

 
         
 縁切り橋を渡ります。坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が大命を受け遠征に来ているとき奥方がこの地まで会いに来たところ怒って追い返し縁を切ると告げたことからついた名です。



 道は県立比企(ひき)丘陵自然公園内を通り笛吹峠を越えます。この峠は新田(にった)勢と足利(あしかが)勢が戦いの決着を果たした峠です。歴史の道が続きます。



 突然大きなかえるが出てきてびっくり!ギャラリーかえる記念館の像でした。



 高麗川(こまがわ)へ向かう道の先には東京国際大学のキャンパスがあり大学生が活発な活動をしていていいものだなと感じました。



 入間(いるま)が近くなった所に影隠(かげかくし)地蔵がありました。木曽義仲の長男義高が義仲の死で人質となっていた鎌倉を逃れここまで来たところ追っ手に捕まり殺されたと言われています。この地蔵は逃げる際に影に隠れたと言い伝えられているそうです。




      

   


      

 

                                 

 
             (かみつみち)