いよいよ朝夷奈切り通しの道に入ります。新しい表記では朝比奈となるこの道は平潟湾六浦港より塩などの物資を運んだり重要な軍用道路として切り開かれました。鎌倉七道のうち最も険しい道でした。



 頂上付近は大切り通しと言われ、両側が崖のように切り立っています。人の手で作られた開削路ですがすごい高さに感心しました。



 道は砂岩質となっており表面や側溝には多くの水が流れているのでした。周囲からはウグイスの声が爽やかに聞こえていました。



 少し疲れが出た道でしたが切り通しを下り終えたあたりに小さな滝がありました。朝夷奈切り通しを一夜で切り開いたという伝説の強力武士「朝夷奈三郎」にちなんで「三郎の滝」と名付けられています。



 山道から金沢街道の道に出たところに十二所神社がありました。北条政子の出産の時に奉勅使が派遣されたり、鎌倉二代将軍源頼家の誕生の際に神馬が奉納されたとされています。



 頼朝の墓、参道に入りました。上道(かみつみち)、中道(なかつみち)は短い期間でここにたどり着いたのですが、下道(しもつみち)は令和2年2月から2年4ヶ月もかかってしまいました。 




 流行病(はやりやまい)が鎌倉時代におきていたらどのような状況になったのでしょうか?きっと人々はおびえ、神社仏閣は祈祷の日々を送っていたのだろうと想像しました。



 ともあれ今はコロナの状況も落ち着きを取り戻し始め、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で人気が上がっている鎌倉にも多くの観光客が戻ってきているようです。無事に鎌倉三道を終了できたことを感謝して終了しました。




      

   


                        
NO.7  金沢文庫~鎌倉
  R4.6.13  約10km
 
   朝夷奈切り通し



 コロナ禍でとても長い時間がかかってしまった鎌倉街道下道でした。今日が最終日になります。金澤八幡神社で最後の旅の無事をお願いしました。




 八幡神社から街道を見ます。ゆるやかに曲がっていく道は昔もこのように見えていたのでしょうか。



 鎌倉へ向かう街道筋には多くの社寺があります。このあたりまで来ると源頼朝に関係するところが多くなります。龍華寺(りゅうげじ)もその一つで、頼朝が六浦山中に創建した浄願寺を移築したお寺です。境内にはかやぶき屋根の鐘楼がありました。神奈川県の指定重要文化財です。



 金沢八景の平潟湾に出ました。鎌倉時代には鎌倉の外港として栄えました。現在よりも広かったそうです。



 瀬戸神社がありました。ここも頼朝に関係します。関わりの深かった伊豆三島神社の分霊をここ「せと」に祀り熱く信仰したそうです。 



 道は横須賀街道の六浦交差点を西に折れて鎌倉へ向かいます。山が近づいてきました。




          


                                 

 
              (しもつみち)