からくり時計がありました。午前10時から一日に5回ほど動くそうです。時間が合わず残念ながら見られませんでした。



 小坊主さんが鐘をつくような様子がのぞけましたがどんなふうに動くのかなあ。いつか見てみよう。(^_^)
 
 
 時計のある場所は小さな記念の広場となっていて、壁には将軍一行の日光参拝行列の様子が描かれていました。
 


 鳩ヶ谷を後にして荒川を渡ります。鎌倉時代の渡しはどんな風になっていたのでしょうか?



 鎌倉街道中道はなかいた商店街を通ります。板橋区の真ん中にあることから中板とついたそうです。7月に行われる「へそ祭り」は板橋区の3大祭りのひとつとなっているそうです。



 板橋区大谷口付近に変わった建物がありました。何かと思ってみると東京都の給水所の建物でした。 




 この日は久しぶりの長い歩きだったので疲れが出てしまいました。もう少し先までと思っていたのですが千川駅で終了しました。昔街道を歩いていた人も体調に合わせて宿場を変えたのでしょうか。そんなことが気になりました。



      

   
                      
NO.3   東川口~千川
  H31.2.27  約18km


  からくり時計 



 しばらくぶりの歩きとなりました。駅を出て街道に戻ると歩道の無い狭い道が続きます。朝の時間帯のためか車も多く緊張した歩きとなりました。小さな祠(ほこら)があり中を覗(のぞ)いてみると素人(しろうと)が作ったのかと思える可愛い不動明王様がありました。


 小高く土を盛ったところに従者に守られた聖徳太子のような像が安置されていました。御成(おなり)街道なので将軍なのかな?



 御成街道の成り立ちと鳩ヶ谷宿の紹介がありました。鎌倉街道中道は将軍が日光参拝へ向かう道となり鳩ヶ谷宿も賑わって商業や文化が発展したそうです。



 地蔵院に寄ってみると鎌倉時代に創作された木造の不動明王像がありました。ずっと人々の生活を見守ってきたのですね。境内には日光御成道まつりで当時の服装を披露して歩いた皆さんの写真が掲示されていました。



 市場杭跡の碑がありました。毎月3と6のつく日に市が立ち大きな賑わいを見せたということです。その場所を指定した杭です。鳩ヶ谷の賑わいが分かりますね。

 
          

                                 

 
              (なかつみち)