街道脇には山名古墳群など多くの古墳が見られます。藤岡では周辺の古墳より発掘された文化財の収蔵庫などもあり、その時代の大切な場所である事が感じられました。



 稲荷山(いなりやま)古墳前では赤城山が遥か遠くに見られ爽やかな景色でした。



 天王塚を過ぎ、古道は田圃で消滅しています。田圃にはどんど焼きの準備がされていて正月らしさも感じられました。





 千部供養塔は天明3年(1783)の浅間山大噴火の様子と、降灰による凶作のため諸物価が高騰したことを記録した金石文です。



 本郷埴輪窯(はにわがま)跡がありました。この地域は古墳の多いことから埴輪を焼く窯が必要だったのですね。



 諏訪神社で無事に歩き終えた感謝をして終了しました。



 ただこの日は終了地点が駅から遠く、駅まで長く歩かなければならなかったので大変でした。(^^;)

      


          


                        
NO.1  高崎城~神流川本郷
  H30.1.9  約16km
 
地図および歩行距離は大まかなものです。
見学等で距離が長く表示されます。 

  七輿山古墳 



 いざ鎌倉と各地の武士達がはせ参ずるため使われた道を歩きます。古い道のため消滅していることも多いのですができるだけなぞって歩いてみたいと思います。今回の上道は遠く長野善光寺までも続きますが中山道、北国街道の歩きで高崎以後は重複するので今回は高崎城跡より鎌倉までとしました。高崎城跡は現在市役所や公園となっており城内から堀を渡ってスタートしました。





 琴平(ことひら)神社は高崎藩士が讃岐(さぬき-現在の香川県)から分霊をして作りました。カラス天狗と大天狗が本堂を守っています。高崎らしくお札を納める代わりにだるまが納められていました。


 



 七輿山古墳があったので寄ってみました。六世紀前半に作られた大きな古墳です。敷地内に首のない大量の五百羅漢像がありました。文化5年(1808)ここにあった寺と住民の争いで壊されたと記録に残っているそうです。



 
          

                                 

 
              (かみつみち)