気温は30度を超えたと思います。日も高くなり日陰が少なくなってしまいました。水分補給を繰り返しながら歩きます。
 上北島の道脇に「勤王志士惜別之処」(きんのうししせきべつのところ)碑がありました。尊皇攘夷(そんのうじょうい)に意気統合した幕末の儒学者(じゅがくしゃ)頼三樹三郎と高岡藩の医者山本道齋が、別れをした地であるようです。二人とも安政の大獄(たいごく)により志(こころざし)半ばで亡くなったようです。
  

 七夕の飾りでしょうか。青空に映(はえ)えています。



 街道脇には往還(おうかん)の松の説明がありました。現在松は残っていません。この日差しの中、松並木があればなあと恨めしく思うのでした。(-_-;)


 
 芹川一里塚がありました。土盛りはなくなりいつしか地蔵堂になっていったのですね。



 この日は石動(いするぎ)駅で終了しました。源平合戦で使われた火牛の計(かぎゅうのけい)を元にした祭りのポスターがありました。大きなわら牛を引いてタイムを争う祭りだそうです。
 

 この日は暑くて大変でした。ニュースでは猛暑日となっていたようです。

        

         
  NO.9

    高岡宿~石動宿

 H30.7.23  約19km

街道松並木はいずこ


 7時に高岡城下を歩き始めましたがすでに気温が上がってきてしまいました。風情のある城下町を歩いていると家のかげから突然大仏様が現れたのでびっくりします。高岡の大仏さんです。13世紀頃、源義勝が願をかけて木造大仏を立てたのが最初だそうです。現在は三代目です。下の洞は一周回ることができ中ではお参りをしている方がいらしゃいました。



 町中には昔の風情を残した家がたくさんあり楽しめます。



 ふと見上げると屋根の上には商店の街灯でしょうか立派な灯籠がありました。



 有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)で一休みさせていただきました。毎年前田家二代目藩主利長(としなが)候の命日には遺徳(いとく)を偲(しの)び感謝する祭礼「御印祭」が行われるそうです。



 八幡宮には高岡の金工技術を集めて作られた金具で装飾された神輿があるそうです。台車の着いた神輿は珍しいですね。残念ながら本物は見られませんでした。