倶利伽羅峠は源平合戦の古戦場です。3万の兵を持つ平維盛(たいらのこれもり)軍は1万の源義仲(みなもとよしなか)軍の火牛を使った奇襲に驚き崖から大勢が転落死したそうです。この戦いで平家は多くの兵力を失い京の都から追われ2年後には滅亡します。盛衰の分かれ目となった戦さでした。

本当にこのように火をつけたのかは分かりませんが、大勢が崖に追い落とされたことを考えれば相当な効果のあった作戦だったのだと思います。「火牛の計」という伝説が現在の祭りにもなっているわけですから。

左が国道ですが車は少し行って通行止めになります。都市と都市を結ぶ重要な路線が国道だそうですが、この道は昔大切な道だったのだろうか?

国道脇には古いのですが立派な家が見られます。こんな山の奥での生活は大変かもしれません。

山道の途中で檻(おり)を見ました。イノシシの罠(わな)です。途中で会った地元の人に罠には触らないようにしてと注意をされたことを思い出しました。そうかここにはイノシシがいるんだと思うと少し不安になりました。持っていた地図をたたいて大きな音をさせなながら前に進むのでした。

山道を下り終えるとほっとしましたが、今度は猛暑が襲いかかります。山の中は日陰が多かったので暑さを少し忘れていました。

この日は津幡駅で終了しました。持っていたペットボトルは全部飲み干してしまう暑さでした。
NO.10
石動宿~津幡宿
H30.7.24 約18km
歴史国道 倶利伽羅峠
今日は山越えとなるのでペットボトル6本を持って早朝に出発しました。でも朝から蒸し暑く少し歩くと汗が出てくるのでした。

山道に入る手前に古墳のあるお寺を見つけました。裏手に登ってみると若宮古墳がありました。西暦500年頃の築造で50m程の前方後円墳だそうです。この古墳からは埴輪のかけらが見つかっていて珍しいということでした。県の指定文化財になっています。

歴史国道と表示がありましたが山道です。最初は舗装もありましたがすぐに土の道となりました。しかも人があまり通らないため草で埋もれているところもあります。

うもれた草をかき分けているときにふと気配を感じたのでよく見るといました。まむしかな。どきどきしますね。

やっと倶利伽羅峠の茶屋跡に出ました。小屋があるのでほっとしましたが人はいません。ここには枯れることの無い池があるので一休みにはもってこいの処だったのでしょう。

そしてここにも芭蕉さんがいました。芭蕉さんと明治天皇はあらゆる街道に記録が残っていてすごいなーと思います。

