街道脇に残る数少ない当時の松がありました。門松(もんまつ)と名前がついていました。



 富山では一里塚も立派にしてあるところが多い気がします。県民性でしょうか。


 
 滑川(なめりかわ)の宿場には風情のある光景が見られます。宿場回廊として観光の散策路にもなっていました。滑川宿からは立山信仰登山も行われ、分岐もありました。



 きれいな川にはサギがたたずんでいます。



 常願寺川を越えました。立山連峰から流れ出る川の多いことが富山の美味しいお米を育てているのですね。



その田圃にはキジも見られました。



 そうけ塚の案内がありました。上杉謙信が大村城を攻略する際、城内をのぞこうと丘を築きました。その際住民にそうけ(ざる)一杯三文を与えると伝えたところすぐに大きな丘が出来たとのことでした。



 この日は岩瀬浜の駅で終了しました。ホテルに向かうため市電に乗ったのですが快適な車両でした。



       

          
  NO.7

    三日市宿~東岩瀬宿

 H30.5.15  約26km

 たくさんの慰霊碑


 この日は朝から快晴です。魚津の町中に入りました。街道では賑やかなところは少ないので少し楽しめます。



 魚津神社がありました。昭和31年大火が発生し5つの神社を統合して魚津神社としたそうです。平成28年の糸魚川大火を思い出しました。



 天気が良いので海まで出て休憩をしました。風が爽やかで気持ちが良かったです。



 魚津保育園の壁に「三銭学校」の案内がありました。魚津町初めての託児所で豆腐一丁が5銭の時代に3銭で子供を預かったそうです。でも3人の保育士で130人の子供を預かったというからこれは大変だったと思います。



 街道にミラージュランドの観覧車が見えてきました。すぐ横を通ると楽しそうな施設なのに平日のため人がほとんど見えませんでした。



 街道脇にはたくさんの慰霊碑があります。皆明治の年号で兵曹長、伍長など読み取れます。どうしてこんなにたくさんの慰霊碑があるのかと考えていると旅順という言葉が浮かびました。日露戦争の旅順攻略戦に富山、石川、福井の出身者で編制された部隊が参加し、全滅に近い損害を出して攻略したことが記録にありました。つらい歴史ですね。



 歩いていると「とと屋」というます寿司を販売している店が有り、少し早いのですが昼食としました。食べるところが無かったので田圃の畦に座って食べました。前に富山湾、後に立山連峰が見られ気持ちが良く、美味しかったです。(^_^)