すぐ近くの大和川小学校にレンガ造りの柱が立っていました。統合により新設されるときにちょうど国鉄北陸線の工事のためレンガ工場が作られたそうです。その製造第1号レンガが使われた門ということで大切に保存されていました。



 糸魚川市大町に相馬御風宅が保存されていました。御風(ぎょふう)は明治から昭和にかけての文学者で歌人、詩人であり良寛和尚の研究者としても活躍しました。野口雨情や北大路魯山人もこの家を訪ねたそうです。



 糸魚川駅付近には八福神像が銀行や商店の前に置かれていました。2016年12月22日この町で大火が発生し、強い風にあおられ多くの被害が出てしまいました。絵馬にはこの商店街が繁盛しますようにと書かれているのでした。



 糸魚川駅を過ぎて姫川を渡ります。この川の名前は糸魚川だとずっと思っていました。
(-_-;) 気がついて良かったです。


 
 融雪水で赤茶になっている道を進み青海(あおみ)宿に入りました。



 やがて雨が降り始め傘を差しての歩きになりました。青海八景 稀祭「竹のからかい」碑がありました。正月に行われる民俗行事で、若衆があわせ竹を勇猛に引き合い豊作を占うお祭りだそうです。最近は祝日規定が変わったため小正月に行っていた行事は人が集まらず困っているようです。



 町はずれに小さな聞召(きこしめす)神社がありました。珍しい名前ですが「聞いて承知する」の尊敬語だそうです。ここに住む人達にとって大切な場所なのですね。




         

       


     
  NO.3

    能生宿~青海宿 

H30.4.23  約21km

    糸魚川


 能生駅より出発し、雨で水量の増えた能生川を過ぎると川沿いには鮭供養の碑が建っていました。この川には鮭が上ってくるのですね。その姿を見てみたいな。





 鳥居の向こうには海が見えます。加賀街道が海に面した街道である事が分かります。



 反対側を見れば山が近く、高速道路が集落のすぐ近くを通っています。



 浦本駅を過ぎた中宿(なかやど)は東海道では間宿(あいのしゅく)と同じ意味をもつのでしょうか。宿場と宿場の距離が長いときにその間の規模の小さい宿場として置かれることがありました。歩いていると海辺の町らしく浮きで作られたかわいい人形が見られました。



 糸魚川市田伏にある大雲寺には得宗血書経巻(とくしゅうけっしょきょうかん)が文化財として指定されていました。血書という文字を見ておや?と思い説明書きを読んでみると文政年間(1820年)頃の和尚さんが修行のため顔から血をしぼって般若経(はんにゃきょう)全巻を書き上げたと書いてあります。すごく痛そうですね。びっくりでした。