桑名(くわな)市に入ると矢田の火の見櫓(ひのみやぐら)がありました。江戸時代は火災を恐れることは現代よりも数倍も恐怖が大きかったことでしょう。この半鐘(はんしょう)が鳴ることがなければ良かったのですが。



 桑名の港に着きました。東海道はここから船での渡しとなります。小さな舟で天候にも左右される渡しは東海道の難所でした。




 
 桑名の焼きハマグリという言葉は有名ですが、最近では天然物はとても少なく高級料亭でしか食べられないそうです。残念。





 ここから先は大きな川が何本も流れ込むため船で海岸沿いに進むことが必要だったのでしょう。もっと昔はどうしてたのかな?

        

     


 
NO.6 H17.10.16
石薬師宿~桑名宿  約27km

   七里の渡し
  


 この日カメラの調子が悪くほとんどの写真がピンぼけとなってしまいました。残念です。ここの町中では一里塚の碑も建物の陰に隠れています。一里塚の土地は明治の頃に民間に払い下げられたそうなので仕方が無いのですね。



 諏訪神社です。七五三の祝いが行われる時期でした。



 四日市市の南町に「すく江戸道」の碑が建っていました。「すく」は直進するという意味らしいです。



 近くではお祭りが行われていました。子供達がとても勇ましい装束(しょうぞく)で伝統が残っているところなのですね。