分かりづらくなっていますが、市場村の一里塚があり、ここを過ぎると川崎宿に入ります。
八丁綴り(はっちょうつづり)の由来が書いてあったので読んでみると、戦後ここで多数の人骨が発見されたそうです。それは江戸時代災害などで亡くなった身元不明の遺体を埋めたところだということでした。その慰霊塔(いれいとう)が建っていたのです。

ここでタクシーを使って寄り道をし、川崎大師を参拝しました。この旅の無事と家族の健康、2組の子供達の合格祈願をしたのです。

大師参道には露天が多く出ていてかわいい飴細工(あめざいく)の店には人だかりがしていました。

多摩川を渡る六郷の渡しがあり最後まで東海道は川で大変なんだなと感じました。


近くの六郷神社でも新年の挨拶をしてこの日は終了しました。

NO.30
神奈川宿~川崎宿
H20.1.6 約16km
生麦事件
新子安からは国道沿いの歩きとなるため変化が少なかったです。それでも江戸時代末期に薩摩藩士が行列を横切ったイギリス人を殺害し薩英戦争の引き金となった生麦(なまむぎ)事件の碑がありました。


鶴見川にかかる鶴見橋を渡ります。現在は大きな橋となっています。


