赤穂 四十七士の墓



 東京タワーが見える都会の街道に勝海舟、西郷隆盛が幕末江戸開城の会見を行った地がありました。





 リュックを背負った姿が似合わぬ銀座歩行者天国を行きます。



 京橋を過ぎていきます。



 いよいよ最終地点の日本橋が見えてきました。



 そして道路起点の碑、日本橋へ3年の歳月を掛けてついに到着したのです。



 6年前の3月春休みのある日に相模原をふらりと出発した旅は、3年33回をかけて京都に到着。そして今度は東海道を忠実になぞって戻り始め2年と11ヶ月かけて日本橋へ到着できました。
 大変という気持ちはなく次に何が見られるんだろうという楽しさと、歩くたびに感じる充実感を毎回得られたことはこの上ない幸せであったと思います。この旅を応援してくれた家族、友人に感謝しました。ありがとう。



 

        

      




      
NO.31
川崎宿~日本橋 
 H20.2.2 約21km

   旅の終わり 
  


 いよいよ最終回、意を決して大森海岸を発つとすぐに鈴ヶ森刑場跡がありました。写真下は張りつけ台の後です。





 なんと東海道のすぐ脇でした。これから江戸へ入る者へ見せしめとしているのでしょう。これが江戸幕府なのですね。
 身内が刑場に送られる罪人と別れの見送りをした涙橋を渡って品川宿にはいりました。
 


 
品川宿は昔からの生活が延々と息づいている町です。品川宿の観光案内所で京都からの最終回であることが話題になると案内所の方が拍手をしてくれました。思わぬ拍手に感動してしまいました。
 感謝!



 赤穂浪士(あこうろうし)の墓がある泉岳寺(せんがくじ)、歴史は生と死が常に隣り合わせであることが東海道を歩くと分かります。



 大石内蔵助(くらのすけ)の墓