鴫立庵





 曾我兄弟の仇討ちに登場する兄の妾、虎御前が使用した井戸だそうです。



 高来(たかく)神社 朝鮮半島にあった高句麗(こうくり)からの渡来人に由来するとも言われています。



 また平塚では名前の由来となる塚跡もありました。桓武(かんむ)天皇の三代孫、高見王の娘政子がこの地で客死したため塚が築かれました。その塚が平(たいら)になったことから平塚の名前が生まれたと言います。



 平塚のシンボル的な高麗山(こまやま)、湘南平を後ろに見て花水橋を渡ります。



 平塚には江戸側にある宿場門の江戸見附がありました。今日を終えてあと15里(60km)になります。




        

     
NO.26
大磯宿~平塚宿 
 H19.10.7 約8km

   平塚の碑 
  


 こんなに間隔の短い期間で歩くことは少ないのですが、1週間で2回の歩きとなりました。箱根駅伝でよくアナウンスされる押切坂(おしきりざか)がありましたが、東海道の押切坂はその隣の古い道でここを登りました。



 江戸から十七里(68km)、日本橋を出発してから2回目の宿泊地としている人が多いところです。





 国道1号線にそって歩きます。途中に戦後の混乱期に総理大臣を務めた吉田茂の旧邸宅がありました。現在は公園となっています。庭は見られませんでしたが銅像だけは見られました。



 大磯町には島崎藤村に関係する晩年の住居や俳人が集まり俳句の草案をした道場としての鴫立庵(しぎたつあん)があり寄り道しました。
       藤村旧宅