春の七草
粕壁宿~栗橋宿
H24.3.29(木) 20km
春休みの一日を使って歩きに出ました。古隅田川渡し場跡の碑があり「よし切りや渡船わたれば五戸(ごのへ)村」と詠んだ歌が残っていました。


この付近はお寺も多く時々花に誘われて境内に入り旅の無事をお願いしたのでした。


道は日光街道の名称が定着しており奥州街道と名が変わるのはもうしばらく先になります。


道にはホトケノザ、ふきのとう、つくしなど多くの春を感じられます。春の七草って何だっけなどと考えながらほのぼのとした気持ちで歩くのでした。


日光街道の一里塚はあまり形が残っていません。川の渡し場を不正に越えた者は死罪となります。ここにも焙烙(ほうろく・火あぶり)地蔵がありました。

また鎌倉幕府から追われた義経(よしつね)を慕(した)ってこの地まで来た静御前(しずかごぜん)が、義経の死を知って病気となりこの地でなくなりました。その墓が栗橋駅前にあります。



NO.7