前途三千里の思い
    日本橋~草加宿
 H24.1.28(土) 19km



 三度目の旅立ちとなりますが奥州街道はすでに白川宿から郡山宿を震災半年後の8月に歩いているので少し複雑です。



 日本橋から日光街道を千住に向かいます。日光街道と奥州街道は宇都宮までは同じ道が多くなります。



 途中屋形船や江戸名物の「どぜう(どじょう)」のお店がありました。日本の風景らしさです。





 また雷門や最近の観光名所のスカイツリーなど見所がたくさんあります。外国の旅行者もたくさんいて英語で道を聞かれました。ストレートプリーズと答えて世界の浅草を実感しました。(^^;) 







          



 言問橋(ことといばし)のたもとには「ああ東京大空襲 朋(とも)よやすらかに」の碑がありました。空襲は数多くありましたが昭和20年3月10日の空襲では10万人の死者100万人の罹災者(りさいしゃ)が出てしまいました。なぜ戦争なんかするんだろう。(-_-)
 その後、平成19年空襲の被害者が国に訴訟(そしょう)を起こしたそうです。でも平成25年戦争被害は国民が等しく我慢すべきと敗訴したそうです。国民は選挙で戦争に反対する人を選ぶことが大切ですね。





 千住大橋には奥の細道の碑がありました。「前途(ぜんと)三千里の思い胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそそぐ」と書かれ旅立つ人の不安な気持ちが察せられます。





 荒川を越えて草加の町に入ると火あぶり地蔵尊がありました。街道の江戸への入口には必ずあった処刑場をここでも見ることになりました。








        

     
                      

 

                               

 

     
  NO.5