垂井ではわき出す泉を見学、旅籠であったところの案内で食堂を教えてもらい「井つつ」のおじさんの自然食講釈を聞きながら鮪のづけ丼をいただきました。美味しかった。



 道は関ヶ原町に入り6年前に通った道と重なることが多くなりました。大きな垂井一里塚が残っています。今日の道中には各遺跡の説明が丁寧にされていました。町の方々の思い入れが伝わります。



 関ヶ原の戦いで敗れた西軍方の主力、大谷吉継(よしつぐ)、吉隆墓の案内など数多く見られ関ヶ原での戦いの凄(すさ)まじさが感じられます。



 またこの小さな川は「黒血川(くろちがわ)」と呼ばれ壬申(じんしん)の乱の激戦で両方の兵士の血が川底の石を黒く染めたことから名付けられました。関ヶ原の戦いでも激しい戦の場であったということです。恐ろしいです。



 美濃近江の国境は寝物語の里と呼ばれました。静かな村の宿では隣の部屋の寝物語が聞こえ偶然の再会を果たしたという伝説からその名が付いたそうです。





 街道は美濃の国(岐阜県)から近江の国(滋賀県)へ入っていきます。






       

     
NO.28
赤坂宿~柏原宿 
 H23.6.18 約22km

 関ヶ原 寝物語の里



 この日はあいにくの雨。岐阜から赤坂宿に入り赤坂港会館を見学しました。警察屯所(とんしょ)を復元したものだそうです。高い建物は火の見櫓(やぐら)です。





 垂井(たるい)宿には追分の碑がありました。「右、東海道大垣みち、左、木曽街道たにぐみみち」です。いろいろな方面にゆく人達が通った道です。



 傘の重みで腕も疲れ垂井(たるい)の宿に入る手前で休憩です。



 安藤広重が中山道を描いた版画の傑作とも言われる雨の垂井宿の様子です。大名行列が宿場に到着した場面が描かれています。