NO.6 西国分寺~町田
H30.3.19 約21km
関戸古戦場

4000年前の縄文時代に武蔵台2丁目には村がありました。当時10軒程度の竪穴式住居があったそうです。石の敷かれた住居は珍しいそうです。

そのすぐ横を鎌倉街道が通っています。切り通しになっていますが保存されていて当時の様子が分かります。

すぐ近くには武蔵国分尼寺跡(むさしこくぶんにじあと)がありました。女人を救済する意図があって建てられたお寺です。昔にもそんな考えがあったのですね。


甲州街道と交わった近くに700余年の歴史ある板碑が街道脇にありました。現在はレプリカとなっているそうですが亡きお父さんの供養(くよう)で息子さんが建てたものです。気持が伝わりますね。


古戦場の碑がありました。鎌倉幕府と新田義貞(にったよしさだ)の軍勢が戦い、幕府側が負けて6日後には鎌倉が制圧(せいあつ)されたそうです。重要な場所だったのですね。

街道脇の神社敷地には杭(くい)のレプリカが建てられています。鎌倉時代の関所跡だそうです。歴史の道が続きそんな道を歩いているんだなあと当時の人達のことを考えながら進んで行きます。


小野路(おのじ)宿にでました。東海道と甲州道をむすぶ脇往還(わきおうかん)であり、江戸時代中期にはおおやま詣(もう)でに行く道となったことで重要な宿場であったということです。このあたりでは鎌倉街道は「おおやまみち」と呼ばれるようになっていました。


この日歩き始めてすぐと、小野路宿を過ぎての野津田(のづた)公園で道を間違えて4万5千歩も歩いてしまいました。暗くなった町田の駅で痛くなった足をさするのでした。(-_-;)


(かみつみち)