海が近くなって五智国分寺がありました。上杉謙信によって建立されましたが、本堂は再建されたものです。ここにも松尾芭蕉の足跡がみられすごい人だなあとあらためて感心しました。



 五智国分寺を過ぎて古道を下っていきます。海が感じられるようになり足はつい急ぎ足になってしまいます。



 そしてついに日本海に出ました。身延道、富士川街道、佐久甲州街道、北国街道をつないでとうとう太平洋から日本海までの目的を達成することができました。無事にここまで歩けたことを協力してくれた人達に感謝しました。






 しばらく海を眺めた後にこれからどうするかということをあらためて考えました。もちろん旅の途中でも考えていたことでもありますが、東か西かそれとも他の街道を始めるか。街道歩きを始めてまもなく茅ヶ崎の海に出たときに東か西か迷ったことを思い出しました。この迷いは楽しい時間でもありました。私は大変でも長く楽しめていろいろな出会いが期待できる方を選ぼうと考え、西を目指すことにしました。親不知、子不知(おやしらず、こしらず)を通って富山、金沢、福井、近江へ向かう道です。しばらくは日本海に沿っての旅が続きます。

 道端に波除地蔵尊(なみよけじぞうそん)がありました。加賀街道の難所、屏風谷(びょうぶたに)の磯辺にもとはあったそうです。打ち寄せる荒波から旅人を守るために建立されました。いきなり旅の大変さが感じられるのでした。



 今は無い長浜小学校跡に二宮金次郎が働きながら勉強していました。最近私の地元では見なくなったなあ。



 道は時々海岸線を迂回し山の中に入ります。そしてそこにはたくさんの猪の足跡と掘り返された土があるのでした。出会わないように鈴をザックに取り付け手にした地図でパンパンと音を立てながら歩くのでした。この日は有間川の駅で終了しました。



       

         

                        
  NO.1  
   高田宿~有間川宿
注:地図は大体の行程です。特に山道は表示ができないところもあります。距離は行程通りの場合を表示しています。

  H29.9.11 約16km

   海の街道


 昨日、高田宿に着き宿泊しました。高田宿には高田城があります。徳川家康の六男、松平忠輝のお城ですが舅(しゅうと)の伊達政宗が監督をして作られたそうです。



 堀は蓮の葉で埋め尽くされていましたが時期が過ぎていて花はほんの少しだけで残念でした。



 今日は高田駅から出発し加賀街道を歩いて日本海まで行きます。縦断四街道の目的地です。



 歩き始めてまもなく追分地蔵がありました。高田宿は加賀、奥州、信州(北国)街道が集まり賑わいのあった商いの街でした。旅の無事を祈って先に進みます。



 途中に春日山城跡の敷地がありました。戦国時代、上杉謙信が春日山城を築き天下ににらみをきかせていたところです。