新撰組の故郷 
      下高井戸宿~日野宿
  H28.3.30(水)  22km



 武州鳥山村(ぶしゅうとりやまむら)大橋場の跡の碑がありました。関東大震災の時にデマを信じた自警団が朝鮮人を襲撃した場所であるとのことです。つらい歴史ですね。でも忘れてはいけないことだと思います。忘れればまた起こることでしょう。



 街道はいつでも歴史の道です。



 甲州街道は新撰組出身地の日野、武州多摩を通るため、近藤勇や新撰組にまつわる箇所が多くあり西光寺門前にも像がありました。



 甲州道に面して大國魂(おおくにたま)神社がありきれいな桜にひかれて参詣しました。春の歩きは桜がいいですね。



  

               


 武蔵府中(むさしふちゅう)では熊野神社の古墳(こふん)がありました。飛鳥(あすか)時代の上円下方墳だそうです。誰が埋葬(まいそう)されていたかは不明ですが立派な古墳であることから有力者だったのでしょう。



 多摩川に出ました。



 日野の渡し場のモニュメントがあります。多摩川は川幅も広くひとたび雨が降るとしばらくはわたれない日もあったのだろうと思います。



 多摩川を越えると日野宿の本陣がありました。室内には新撰組の羽織が飾ってあり、やはりここは新撰組の故郷なのですね。



 新撰組は京都の治安を守る部隊として活動しました。武州で募集があった時にこの地の道場主であった近藤勇や土方歳三が応じて、京都に行きその後局長、副長として実権を握ります。



 新撰組は腕の立つ剣客集団であったということですが、多くの浪人を斬った反面、きびしい隊規で仲間もずいぶん死んだそうです。
1、隊を抜けるのは切腹
2、戦いの場で相手を倒さない場合は切腹
3、戦いから逃げたら切腹
必死で戦うしかないのですね。
 その後、土方歳三は官軍と戦いながら北海道函館まで行き戦死したそうです。私は以前その地を訪れたことがありました。 道路の真ん中でした。


        


       
                  

 

                               

 

     
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