途中米軍住宅地に進路を阻(はば)まれ大きく迂回することになりました。金網のフェンス沿いに歩きましたが広い敷地に水色の住宅が間隔を広く取り建っています。フェンスの外では、すし詰めのような住宅地の狭い道路を救急車が走りにくそうにサイレンを鳴らして通っていきました。
大和市に入るとさくらの散歩道と名付けられきれいに整備されています。歩いていて楽しくなりますね。

神奈川県と東京都を分ける境川を水道管が渡ります。大きくアーチを描いて川を越えている様子は美しくも感じました。

道は再び神奈川県横浜市に入ります。横浜は坂道が多い町です。管の水が坂道を登っていくとしたら大変な力がいるなあなどと考えながら坂道を上り下りしていきます。この頃にはあいにく雨が降ってきてしまいました。一部水道管が見られます。


そして西谷(にしや)浄水場に着きました。現在の送水はここまでとなります。横浜水道記念館がありました。

この日は暗くなってしまったので星谷駅で終了し、後日最終の野毛山浄水場跡まで歩きました。44kmの道のりでした。

到着地では英国人H・Sパーマー氏が迎えてくれました。この横浜近代水道の設計・監督を行ったそうです。パーマー氏はこの他、東京、大阪、神戸、函館でも水道計画に貢献し、東京青山墓地に眠っているそうです。感謝しました。

現在横浜水道は相模原市青山にある横浜水道沈殿池のさらに上流にある鮑子(あびこ)取水口から水を取っています。その水は私が歩いた水道みちを通って西谷浄水場まで運ばれ横浜都市部の重要な給水を担(にな)っています。
また現在では相模川の他に道志川、宮ヶ瀬湖、酒匂川の水も使用されているそうです。
とても興味深い歩きでした。(^_^)
H30(2018).12

私の朝の日課は体操と散歩です。
その散歩コースの一つに水道みちを歩くコースがあります。家の近くにあるため良い散歩道になっているのです。この水道みちの途中に案内の看板がありました。

津久井の三井(みい)用水取水所から横浜の野毛山浄水場まで水道管を敷設した場所であることと、その機材運搬のためのトロッコがひかれた道であると書かれています。
私はこの案内版を見るたびに水の出発地と到着地はどんな風につながっているんだろうと疑問に思っていました。そして今回三井取水所から野毛山配水所までを自分の足で歩いて確かめてみようと思ったのです。
平成30年12月、相模川桂(かつら)橋を越えた千木良(ちぎら)の地に着きました。本来は沼本ダム付近が取水口として出発地ですが、道が山沿いしかなかったので少し上流の千木良から歩き始めました。山の斜面を削って作られた道は車がやっと1台通れるぐらいの狭い道でした。景色が良く気持ちのいい道です。

沼本ダムは見られませんでしたが津久井湖のこのあたりが出発地となります。雲がかかり寒い日となりました。
水道は地下に敷設されているため見ることはできないので、水道に沿った道を歩くことにしました。

津久井湖を過ぎると谷ケ原(やがはら)浄水場横を通ります。ここは相模原市、厚木市、相川町に給水する施設でした。

小倉(おぐら)橋を越えた後、道はほぼ直線になります。道も整備され、自動車などは通れませんがとても歩きやすい道になります。住宅や畑の間を水道みちは続いていきます。

この日は中間地点の私の家付近で終了し翌日続きを歩きました。道は相模原公園内を通ります。
