トラックに乗っていよいよ出発です。もちろん途中からは舗装もされていない西部劇の馬車が走るような荒れ地を走ります。揺れること揺れること。巨大な岩山がどんどん大きくなってきます。



 途中に先住民が住んでいた土の家が再現されています。このような荒れた土地で生活していたとは考えにくいのですが、以前はもっと植物が多く、生活の糧であったバッファローなどもたくさんいたのだろうと想像しました。



 ナバホという言葉のことをガイドさんが説明してくれました。ここはアメリカインディアン、ナバホ族の居留地で彼等の聖地でもあると言うことでした。
 その時私は居留地という言葉に違和感を感じました。居留地は外国人がそこに住むことを認めた地域だと思っていたからです。インディアン(近年は差別的であるという理由でネイティブ・アメリカンと呼ばれる)は外国人なんだろうか?(居留地のこと



 アメリカ全土に住んでいたインディアン達は開拓が進むにつれその土地を追われることになりました。大変な数の人々が移住を強制的に行われたそうです。当然反発もあり戦争も起こりましたが部族間のまとまりもなく武器も貧弱なインディアン達は敗退します。
 その間には差別や迫害を受け、現在の居留地に生活の場を移した部族も多かったようです。ネイティブ・アメリカン系の人々は現在でも差別を受けることが多く、失業率や自殺率が多いそうです。そのため多くの訴訟が起こされているのが現状だそうです。

 ちなみに映画で見たインディアンの服装や悪役のストーリーは映画のために作られたものが多く、俳優のマーロンブランドさんは彼らの人権を擁護(ようご)するアメリカインディアン運動を支援し、アカデミー賞の授賞式に代理でネイティブ・アメリカン女性を出席させスピーチをさせたこともあったそうです。



 世界の多くの土地で先住民が迫害(はくがい)され、時には病気の蔓延(まんえん)で全滅もする事になった事例を知るにつれ「どうしてだろう?」という気持が湧き上がります。
 そして「今後どうしたら?」と考えることは本当に大切なことなんだと思います。私は最近、西部劇を見ることがほとんど無くなりました。また西部劇が作られなくなったように思います。

           

              
                        
   H27(2015).7  NO.5


 モニュメントバレー

 移動の途中で地面に亀裂が入り大きく裂けているところを見ました。大雨による洪水などで作られたものです。このような亀裂は長い年月を経てグランドキャニオンのようになっていくのでしょうか。



 休憩でCAMERONというモーテル兼土産店に寄りました。インディアン・クラフトが置いてあります。私はここで人気のインディアン音楽CDを買いました。演奏者はナバホの血を引くカルロス・ナカイさんです。アメリカンフルートの音色は日本の尺八にも似て懐かしさを感じました。



 いよいよ大西部モニュメントバレーに入りました。大きな岩山が次々と現れます。どうしても来たかった場所でした。ここは国立公園ではなく北米先住民族、ナバホ族の居留地で正式名称は「モニュメントバレー・ナバホ部族公園」といいます。ナバホ族が管理・運営をしています。



 到着後、観光用のトラックに乗り換えて見学となりますが、その前に昼食をレストランで食べました。ナバホ・タコという揚げたピザ生地に挽肉と豆が敷かれその上にレタスやトマト、スパイシーなソースもついていました。食べやすく美味しかったので量も多かったのですが完食しました。



 記念碑を見つけました。ハリー・ゴールディングとレオン・ゴールディングと書かれています。1920年頃この地で暮らし始めた夫妻は交易所を開いてナバホ族の産物と生活品の交易を行いました。その後この夫妻がハリウッド映画ロケ地を紹介したことがきっかけでモニュメントバレーは西部劇のメッカになったそうです。