職人かたぎ譚
中野孝次著「光るカンナ屑」(小学館)より
連載 その5.
大体、あんまり気分の変わりやすいやつはいい職人になれねえもんでね。気を集中するときはだれだって集中しなけりゃならねえが、夢中になるかと思うと不意に投げやりになるようなやつは、あんまり職人に向いてねえんだ。いつでも同じように気を張っていて、砥ぐんでも削るんでも気持にムラなく、いつも油断なく平らに仕事をするようなのがいい職人になる。もちろんさらにその上にいくには、ふだんから気働きが優れていて研究熱心でなくちゃならねえが、なにより仕事にかかったら一心不乱、それになりきる気性が一番でえじなんだ。辰叔父をおれはずっと親方として仰いできたからよく知ってるつもりだが、その点辰叔父って人は、いったん仕事にかかったら頭も神経もからだも全部が仕事になりきってしまうような人だったな。 カンナ掛けっていうのは、ただ木の上っ面を削ればいいってもんじゃない。材ってのは生きもんだから、木取りをしたあと目に見えない狂いができている。木は一本一本その育った場所によって性質が違う。日陰に育った木、日当たりのいいとこに育った木、水はけのいいとこわるいとこに育った木、それぞれ性質が違う。そういう微妙な性質の違いを頭にいれて、サシを使ってまっすぐに、どこをとっても四角四面同じになるように削るのが、柱を削るってことなんだ。それに木を見る目もいる、サシガネも使えなくちゃならない、その上で四寸の仕上げカンナで頭から尻まで一気に引ききると、一枚の長いカンナ屑がつながって出てくるくらいにならなくちゃいけない。 (中略) だが、本当の修行が始まるのはそれからだ。ノコが使える、カンナが使えるなんてのは、これはもう基本の基本でね、いわば当たり前のこと、本当の大工仕事ってえのはその先にあるのよ。それは継ぎ手、組み手の仕組みを覚えることだ。 |